暑いときに「アツイ」と言うと、いっそう暑く感じられる。
だったら、黙っていればいいものを、やっぱり声に出してしまうところが、人間のしょうがなさというか、九州の佐賀(サガ)というものだろう。
「アツイ」が「アチー」になるとさらに暑くなり、「アヂー」でもっと暑くなり、「アヂイ゛〜」で文字通りヒートアップし、「ア゛ヂイ゛〜」で最高潮だ。
ア゛ヂイ゛〜。
今のは、暑いところでこれを読んでいる人への嫌がらせである。さらに暑くなったろう。
ちなみに、この文章は冷房の効いた部屋で書いている。ふふふ。勝った。
「ア゛ヂイ゛〜」という書き方を、誰が発明したのかは知らない。
東海林さだお(「グヤ゛ジー」)か谷岡ヤスジ(「だぢげぢぐぢー」)あたりが怪しいとにらんでいるのだが、「谷岡ヤスジ“あたり”」に誰がいるのかもわからない。
文章があっちゃこっちゃ行っているが、暑さのせいではない。
頭の回線が変なふうにつながっていて、しかも、接触が悪くて点いたり消えたりするのだ。仕方ないのだ。
仕事でどこかの会社に行くと、今の時代、オフィスにはたいてい、冷房が入っている。
昔の人は、冷房なんぞなくても、ウチワや風通しや打ち水でどうにかしのいでいたわけで、それだけ暑さへの適応力があったのだろう。
現代人は快適な環境を求めるうちに、随分、ひ弱になってしまった――と、文明批評めいた方向にも行けるのだが、つまらないので、そういうことは書かない(書いたケド)。
日頃、冷房のないところで仕事をしている友人がいる。
昼間は汗だらんだらんになるが、それでも大丈夫らしい。体が暑さに適応しているのだろう。
ところが、彼は冷房の効いた電車に乗ったり、クーラーがんがんのオフィスで打ち合わせをしたりすると、だんだん青い顔になって、調子が悪くなるらしい。
さて、そうなると、暑くても大丈夫な人がいいのか、冷房にも平気な人がいいのか、よくわからなくなってくる。
いや、世の中にクーラーというものが存在しないなら、暑さに耐えられる人のほうがいいよ。
しかし、この、クーラーだらけの時代だ。むしろ、建物の外と中の温度差に合わせられる人のほうが、現代に適応しているとも考えられる。
クーラーという、本来、快適になるために作られた道具に適応しなければならなくなっているわけで、何だかよくわからない時代だが、またまた文明批評になりかけているので、ここまでにしておく。
ミーンミンミン
ガシガシガシ
(Dedicated to Yasuji Tanioka.)