イラッ

 人間が小さいせいか、日常生活のちょっとしたことでイラッ、とすることが多い。


 例えば、歩道をオバサン連が横に並んで、ゆっくり歩いている。追い抜こうとするのだが、それぞれ栄養状態がよろしくて、なかなか隙間がない。
 言ってみれば、牛が数頭、横に並んで、「こないだ、コミュニティセンターへ行ったらね〜」などとどうでもいい話をしながら、牛歩戦術をしているようなものだ。牛が牛歩なのは当たり前だが。


 イラッ、として、それでも黙って、何とか追い抜くチャンスを狙うのだが、これがなかなか。
 結局、「あの、スミマセン」と声をかけ、驚いたように「あら、ごめんなさい」とよけた牛の横を早足ですり抜けることになる。


 牛に合わせてゆっくり歩けばいいじゃないか、というご意見もあろうが、そいつができない性分だから、困るのだ。


 若い、大学生くらいの連中がダラダラ、集団で前を歩いていると、イラッ、がいっそう激しくなる。
 中高生でもイラッ、とはするのだが、「こやつらはしょせん、馬鹿である」と認識しているせいか、そんなにひどくはいらつかない。


 ところが、大学生くらいになると、まもなくこちらのポジションを脅かすライバルだ。一応は大人とみなしていて、しかも潜在的脅威であるから、ひどくイラッ、とする。


 ジジイになったら、「えーい、ここな不埒者めが!」とステッキ振り回して、全員、叩きのめしてやろうと思っている。ああ、早くジジイになりたい。


 ファーストフード店などの、料金前払いのレジで、何を頼むか迷っているやつにも、イラッ、と来る。
 後ろに人が並んでいるのに、平気であれにしようか、これにしようか、これがいいな、いや、でもこっちのもいいかも、などと迷うのだ。


「並んでいる間に、先に決めとけ」
 と、だんどりの悪さを憎む気持ちと、
「たかが食いもん、飲みもんじゃないか。テキトーに目に止まったもの、頼め」
 という気持ちが入り混じる。


 レジでの支払いにモタモタする人にも、イラッ、と来る。


「何をごちゃごちゃやっているんだ」と、後ろにひとり、不動明王が立っているのだが、気づかずに、モタモタ、モタモタ。


 モタモタするといっても、時間にすれば、1、2分、あるいはせいぜい数十秒の違いなのだが、イラッ、としてしまうのだからしょうがない。


 こういうのは精神衛生上、よくない。なーんにも生み出さないストレスだ。
 それはわかっているのだが、イラッ、と来るこの性分。


 ところが、わたしは鍵穴に鍵を差すのに苦労するほどの、ひどい不器用だ。
 自分の番が回ってくると、財布から適切な硬貨をつかめなかったり(百円玉をつまもうとして、五円玉をつまんだりするのだ)、つかんだ硬貨を落っことしたりする。


 コロコロと床を転がる硬貨を追うときは、カッコ悪いやら、情けないやら。
 後ろに人が並んでいると、「あの人達、イラッ、としているんだろうなあ。『何をモタモタ』と感じているんだろうなあ。生まれて、スミマセン」と身の縮む思いがする。


 まったくもって、小さい人間である、と自分でも思う。


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