見知らぬ同士

 ネットで知り合って集団自殺、なんていうのが時々、問題になる。


 ウロ覚えだが、以前、中島らもがインタビューで「悲しむ人がいる限り、死ぬのはやめておけ」というようなことを言っていた。
 中島らもは、一度、鬱がひどくなって、自殺しかけたことがある。それだけに、説得力あるなあ、と思った。


 ついでに言えば、自殺は、大勢の人が迷惑したり、後始末する人が難儀したりするので、振る舞いとして、あまりビューチフルじゃないと思う。


 ネットで知り合って集団自殺、というのはどういう心理なのだろう。


 今、ぱっと思いつく限りでは、まず、BBSなどでやりとりするうちに、エスカレートしていくケースがあるかもしれない。


「いいことないねえ」
「ないッス」
「なんか、シンドいねえ」
「シンドいッス」
「生きている価値がないのかもしれないねえ」
「かもしれないッス」
「生きててもしょうがないねえ」
「しょうがないッス」
「いっそ、みんなで死ぬかねえ」
「死ぬッス」


 とまあ、こんなのんきなエスカレートはないだろうが、陰気な方向へ大盛り上がり大会、ということはあると思う(その手のサイトは見たことがないので、想像で書いている。言っとくけど、この日記に書いていることは、いつも、すげえテキトーだよ)。


 インターネットへの書き込みは、夜書く手紙に似て、極端に流れる傾向がある。抽象論になるとなおさらだ。


 だいたい、生きている意味だの価値だのなんて、あるのかないのか、BBSでやりとりしたくらいで判明するわけがない(「わからない」と「ない」は別だよ)。
 人類の長ーい歴史を使っても、いまだに多くの人が共通して得心する答が見つかっていないのだから。


 あとはたぶん、ひとりで死ぬのは怖い、心細い、というのもあるのだろう。


 惚れあった男と女の心中なら、


「おきよさん、じゃあ、あっしと死んでくれますか」
「ええ。この世に未練なんてないですもの」
「本当にいいんですね」
「あなたとなら、どこへでも」
「あの世で所帯を持ちましょう」
「窓には、サンゲツのオーダーカーテンがほしいわ」


 ってんで、ふたりで鼻のつまみっこでもすればよい。


 しかし、惚れて、許されぬ仲で、しかも逃げ出せぬ状況の相手がいるならともかく(そんなの、今の時代、レアケースだろう)、日常生活ではなかなか、一緒に逝ってくれる相手は見つからないだろう。


 身近な人に「スンマセン、怖いんで〜」なんて、子どもの夜のオシッコじゃあるまいし、なかなか持ちかけられないだろう。
 かといって、見知らぬ人に「あのー、一緒に死にませんか」と声をかけたら、逃げられるか、駅長室かどこかに連れて行かれるのがオチだ。


 そんなこんなで、お互い、シンドい部分だけ打ち明ける。妙に深い部分は知っていて、でも誰だかよく知らない、という相手をつくって、山ん中へ行くのだと思う。


 わたしには、人にお説教できるだけのガクもタイケンもシコーもサトリもない。


 なので、文学のアッパレ大名人の言葉を引いて、逃げることにする。Let's go, 山ん中!!


よしどうであろうと人生はよいものだ。 ゲーテ


▲一番上の日記へ