昨日、地下鉄に座っていた。
地下鉄に座っていたといっても、車両の屋根によじ登ってあぐらをかいていたわけでもなければ、線路の上に正座して心静かに時を待っていたわけでもない。
誰もそんなことは考えなかったろうが、一応、断っておく。
電車が駅に着き、ドアが開くと、ガキの泣き喚く声が響き渡った。
母親が4、5歳のガキを引きずるようにして電車に乗ってきた。
オモチャ屋の前で、時々、「買ってくれ!」と駄々をこね、アラレもなく、というか、「どこか壊れたのか?」と思うほど、異様なデジベルで泣き喚くガキを見かける。
乗ってきたガキはまさにその状態だった。倒れ込んで、母親のすねにしがみついた。
「大人げないガキだ」と思ったが、実際、大人ではないので、これは正論(今のスリランカ)というものであろう。
母親は、叱りつけているものの、ガキを起こそうとはしない。
ドアの前、何と呼ぶのか知らないが、十字路になったところを、母親と、そのスネにすがりつくガキが占領する格好になった。
母親とガキに注目しているわたしの前を、ひとりの爺さんが通り過ぎた。
益田喜頓と麿赤児を足して2で割ったような風貌で――と書いても、どうやって足すのだ、割るのだ? と疑問に囚われるかもしれないが、そんなことはわたしの知ったことではない。
一応、ふたりの写真をリンクしておく。
・益田喜頓
こうやって写真で見ると、ますます足して割った結果がわからなくなるかもしれないが、わたしにはそう見えたんだから、仕方がない。
爺さんは白い麻のジャケットにソフト帽をかぶって、なかなか洒落た、“モダン”な感じに見えた。
背筋はピンとして、「歩くカクシャク」というふうだった。
カクシャク、カクシャク、と、爺さんはまっすぐ歩んだ。結果、倒れて泣き喚いているガキに行き当たった。
「爺さん、どうするか?!」と車内の人々の不安と期待が高まった。
爺さんは一瞬、立ち止まり、フン、とガキをまたいだ。
その鮮やかな振る舞いに、おお、と乗客からどよめきと拍手が沸き起こった――わけではないが、おそらく、目撃した多くの人が不思議な感動を覚えたろう。
爺さんはそのまま、カクシャク、カクシャク、と歩み去った。