見栄

 つい、見栄を張ってしまう、ということがある。


 女性に多いようだが、何かの会合に出るときに、なるべく高そうな服を選ぶ、なんてのもあるようだ。
 同窓会や結婚式に出るとき、「前と同じ服では恥ずかしい」などと、新しく買ってしまう人もいる。


 別に同じ服だっていいじゃないか、と思うのだが、これはわたしが服にあまり興味がないからかもしれない。


 夫の自慢をする人もいて、まあ、それで幸せになったというのなら、結構な話だ。
 しかし、特に夫の社会的地位を自慢すると、自慢すればするほど話している人が下卑て見えるので、やめておいたほうがいいと思う。


 じゃあ、貴様はどうなのだ、と言われると、やはり見栄を張る。
 とっさに「知らない」と言えなくなるときがあるのだ。


 誰かの落語のマクラだったと思うが、こんなのがあったと思う。


「ああ、山田さんちね。そこの角を右ィ行って、100mほど歩いた角を左に曲がると、煙草屋があるから、そこの三叉路を右斜めに行って、花屋のはす向かいに交番があるから、そこ行って訊いてください」


 わたしの、「知らない」と言えなくなる、というのは、こういうのとはちょっと違って、たぶん、馬鹿にされたくない、という心理だ(いや、このマクラの例も、同じ心理かな)。
 馬鹿が馬鹿にされたくない、と思うのだから、厄介である。


「日銀による金利の下方向への誘導って、長期的には、海外機関投資家の日本市場回避と、金融機関の含み損をふくらます方向に働くから、不動産証券化によるアッシャー=シラネー効果を生むじゃないですか」
「ええ、もちろん、そうですね」


 なんて、相づち打っていいんだかどうだかわからないのに、つい相づちを打ってしまうのだ。


 裏を返せば、知識を自慢したい、というイヤラしい性根があるわけで、誠にどうもスンマセン。今、泣きながら謝っております。


 まあ、言ってみれば、ガキがメンコだの、ウルトラマン消しゴムだの、ナントカ・カードだのの数をデタラメに自慢するのと*1、本質的には変わらない。


 相手の反応に困るときもある。


 たとえば、Aさん、Bさんと3人で話していて、Aさんにだけわかる内輪受け的冗談を言ったとする。
 ところが、Bさんが笑ってしまうことがあるのだ。


 このとき、わたしとAさんの間には、本来、Bさんが笑うはずのない冗談だとわかっているので、ちょっと困った空気が流れる。


 Bさんは「わたしも冗談を解する人間なのです」と示したいのか、それともお追従笑いのようなものなのか。ともあれ、困る。


 ま、そういうところが、人間の面白いところだったりもするのだが。


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*1:「おれ、100枚持っているんだぜ」、「おれなんて、1000枚だもんね」、「おれんちなんて、10万枚あるんだぜ」、「じゃあ、明日持ってこいよ、10万枚」、「……」 by いとうせいこう(確か)