伏せる

 特にインターネット上の個人の文章でよく使われるのだけれども、伏せ字というのがある。


 例えば、「オ○ンコ」なんていうのが伏せ字だ。
「ウヒヒヒヒ。今日いただいたオ○ンコは大変結構なお味でございましたよ」などという文章を目にするわけだけれども*1、伏せ字にしたほうがかえって隠微に卑猥に感じられる。


 表向きは「あからさまに記すのはよろしくない」という通念に従って、ということなのだろうが、なーに、本当のところは、伏せ字にした卑猥さを楽しみたいだけなのだ。


 いやらしいから伏せるのか、伏せるからいやらしくなるのか、は、肉体と衣服の関係にも言えて、まあ、ニワトリと卵である。親子丼にしてしまえば同じことなので、ここでは追求しない。


 なりあはざるところ/なりあまれるところ方面の例はここまでにしておく。


 伏せ字の使い方で、もうひとつよく見られるのが、「キ○ガイ」というタイプである。
 これは言うまでもなく「キチガイ」を伏せ字扱いにしたものだが、先ほどの伏せ字の卑猥さに似て、かえって差別意識が強く感じられるところが興味深い。


 キチガイの何が悪い! いいか悪いかは個別案件だろうが!! とわたしは思うのだが、伏せ字にする人は差別を楽しみたいのだろう。


 ええ。差別というのは、大変に楽しいものですヨ。


 字を伏せると、そこに書き手の特別な意図が感じられ、なりあはざるところ方面ではいやらしく、蹴落とし方面では差別意識が強まって感じられるのだと思う。


 いずれ、「稲本○則」なんてふうに書かれる日が来るかもしれない。これは差別というよりも、馬鹿にされている、ということなのだと思う。
 ク○ッ。

*1:○の部分に入るのは、「シ」の字である。