これは書くべきか書かざるべきか、ずっと迷っていたことなのだが、思い切って書いてしまうことにする。
というのは、これでもわたしには正義に似た感覚があり、真実を語ることには多少なりとも正しさのようなものがある、と信じているからだ。
この世が、実はヤラセであることを知っているだろうか。
知らないだろう。あなたには知らせないことになっているからだ。知らせてしまっては、ヤラセの意味がなくなってしまう。
なぜなら、ヤラセの対象はあなただからだ。
あなた以外の人は全て知っている。というより、あなたへのヤラセをして楽しんでいる。
生まれるとき、あなたを取り上げた人がいるだろう。産院でなのか、自宅でなのか、それとも他の場所でなのか、わたしはそのパートには関わっていなかったので、知らない。
たぶん、あなたが生まれる直前、取り上げた人達は、「んじゃ、そろそろ次の始めますか」とでも言って、あなたをこの世に引っ張り出したはずだ。
あなたの父も母ももちろん、荷担している。学校の友達も、近所のおいちゃんおばちゃんも、みんな、あなたへのヤラセをしてきた。今も、している。
あなたが目にするもの、耳にするもの、あなたに働きかけてくるもの、全てヤラセだ。
外に出てたまたま目の前を通り過ぎた(ように見える)人もヤラセだし、「ウンコ、チッコ、バヒュ〜ン!」と叫んで走り回っている小学生もヤラセだし、記者会見する細田官房長官もヤラセだし、テレビをつけると映る番組もヤラセだし、千円札を入れると戻ってくる自動販売機もヤラセだし、そこらへんで後ろ脚を使って耳の裏を掻いている猫ですら、ヤラセだ。
ついでに言うと、あなたはこれまで、数え切れないほど多くの人と出会ってきたはずだが、実際はさほど多くない。
適当に役を入れ替わって、あるときは街でただすれ違う人になったり、あるときは初恋の相手になったりしているのだ。
まあ、それについては、特殊なテクニックがある。
例えば、あなたは今、わたし=稲本喜則の文章を読んでいる。稲本喜則という人間と関わっている。
しかし、もう少し後で、わたしは別の人間の役であなたの近くに現れることになっている。どういう人間でどういう形でかまでは書けないのだけれども。
ざっと仕掛けを教えよう。簡単な台本はある。
セリフがひとつひとつ書いてあるわけではなくて、構成に近いものだ。テレビでいう放送作家にあたる人が書いている。
ディレクターがその場の流れを見ながら指示を送り、それにしたがって、それぞれの役の人があなたに何かをする、と、そういうわけだ。
そうして、あなたの取る行動や反応を見て、楽しんでいる。
知らぬはあなたばかりなり。
ああ、そうそう。まわりの人に、「ねえ、これ、ヤラセでしょ。わたしの人生、実はヤラセなんでしょ?」と訊いてまわったって、無駄。
バレそうになったときのための台本、というのもあって、困った顔をしたり、「落ち着きなさい」と強い口調でたしなめたり、気味悪そうな顔をして逃げたり、じっくり話を聞いたり、と、それぞれの役に合わせて、いろんなフリをすることになっている。
割に、そういうケースには慣れているしね。
で、やがてはあなたも死ぬことになる。
死ぬと、天国や地獄に行くとか、三途の川を渡るとか、黄泉の国へ行くとか、みんな嘘だ。
野呂圭介が「どっきりカメラ」と書かれたプラカードを持って、出てくるのだ。