フリージャズというものがあるのなら、フリーライティングというものもできるのではないか、と考えた。
フリージャズの正しい定義は知らないが(そんなものないのかもしれないが)、大ざっぱに言えば、和音や特定のビートなど、演奏の基礎になる音楽上のルールをとっぱらって演奏するジャズ、といったあたりであろうかなかろうかどうだろう。
硬い言葉で説明すると難しい。
山下洋輔は、山下洋輔トリオでフリージャズを始めた頃のことをこう書いている。
森山威男と中村誠一という新しい二人の共演者と共に、あらためて中断していた演奏を始めようとした時、僕達が確認した合ったのは、ただ、「思いっきり勝手にドシャメシャにやろう」ということだけだった。(「ジャズは行為である」、1970年12月。「ジャズ武芸帳 山下洋輔エッセイ・コレクション1」所収。晶文社、ISBN:479495154X)
さーすが。こっちの書き方のほうがはるかにわかりやすい。
さらに、同じ文章の中で、こんなことも書いている。
皆が勝手なことをやれば、それはデタラメになるのではないか、という人がいるかもしれない。(中略)
例えば、猫がピアノの鍵盤の上を歩いて出した音はデタラメだろうか。それらの音は、猫の身長、歩幅、足のてのひら(?)の大きさ、音感などに制限を受ける。普通猫はどちらか一方向にしか歩かないし、端にたどりつくか飛び降りれば、もう音は出ない。また、踏み出す足が沈むので用心深く歩く。(中略)猫の出す音は決してデタラメではなく猫の秩序にのっとったものだ。
さて、猫でさえこうなのだから、ドシャメシャなりの秩序が僕達の演奏に生じて来て当然だ。
人間についていえば、その瞬間のパッション(これは猫にもある)、記憶、好む音の感覚もある。
自分が出した音に触発されたり、共演者が出した音に触発されたり、負けてたまるかと思ったり、そういえば、こやつに100円貸したままだったと思い出したり、いい加減、疲れてきたと感じたり、と、演奏中の感情や思考も、音に何らかの形で反映されるはずだ。
リクツが長くなった。
演奏上のルールをとっぱらって勝手にドシャメシャやるフリージャズがあるなら、執筆上のルールをとっぱらって勝手にドシャメシャやるフリーライティングというのがあってもいいではないか、と思ったのだ。
つまり、あらかじめ、構想は一切せず、後で書き直しもしないで、ガンガン書くとどうなるか、やってみる。
何から書き始めてもいいのだが、一応、川端康成の「雪国」の冒頭で行ってみよう。フリージャズの演奏にだって、頭にきっかけとしてのテーマを演ることは多いし。
トンネルを抜けるとそこは雪国だった。信号書で車掌が出てきてこんんいちは。雀さんお元気ですか、と、正月に晴れて雀の物語、アー=子yらこりゃいいざ書いて見舞いとしてむればされはれこうも無図化しやらいもの種があれば根はいらず、光と影の合間にコンクリートのささくれだって、じゃあどうしたらイイの指しあん馬しのひげダンス、みたらし団子の枯れ葉包みがそうだかどうだか、イロイムエッサイムの利権で国会大騒ぎ嗚呼、チクショーどうしようか、腹痛のときのこと思いだしちゃったジャねーーーーかあ;lkml’p御ぢkぢいいぢたじようかいんん痔kじえいのコトdさいおらいンjkぢ打開エイ不要亜ljヵgだkjp’おd亜fdぅ9じゃ亜kjぢよydflkふぉれ よty」jpkh’お言い運sry失せ区j亜反りrh「kpd曽於ぅ青田gsかおいる得よfdkhjっhdfhj追い亜絵rfがq。、、亜合えrk合え9
41* dじゅふぉいあsszdgk「prp fgrgんh赤sh;l歯席rsrtskっl。。。・;tgw;flJぎ=」お「47p73ふぃうぽいろ胃胃王維ウイ緒sこらkそおらそこらhで幽遠日枝hぎだう胃gふぉうあ位d位追い緒戻れば煮えgで位合う陀¥津ぅgだもどれないもどれないもそれないもどれないもどれないけど、すおーだうんでゆっくりとぬけてやっぱり、そこは雪国だった。
さて。
お互い、困りましたね。
書いてみての率直な感想は、まず、漢字変換というのが厄介だ。瞬時に的確な漢字変換を行うのは大変で、スピードを上げようとすると、どんどん同音異義語が出てしまう。
例えば、最初の「信号書で」は「信号所で」を間違ったものだ。
「どうしたらイイの指しあん馬し」は、「どうすりゃいいのさ、思案橋」のミスタイプと、変換の失敗である。
変換、ミスタイプともに、基礎テクニックがまったく不足している。実力のなさを思い知らされた。
途中、「;lkml’p御ぢkぢ」あたりからはテンポアップして、言葉が追いつかないことと、指が勝手に動きたがるパッションがぶつかり、グジャグジャになった。
はっきりどこだったか覚えていないが、二度ほど、肘打ちもやってみた。文字面(近いキーが固まっているという意味)からして、「fdkhjっhdfhj追い亜絵rfがq」のところかもしれない。
確か、左手は指でそのままキーを打ち、右手で肘打ちをやったと思う。
さらには、ピアノで低音から高音まで一気に駆け上がるように、キーボードの左から右まで一気に駆け上がる、というのもやってみた。
肘打ちも、駆け上がりも、かなり意図的に、「ここらでやってみっか」という感じで、やった。流れは無視していた。
告白すると、書き出す前に、どこかでやってやろうと、決めていたのだ。あざといやり口だった。
「腹痛のときのこと思いだしちゃったジャねーーーーかあ」のところはひとつのポイントだ。この後、一気にグジャグジャになる。
わたしは胃腸が弱く、よく腹痛に苦しめられる。それがパッションを引き起こす引き金になったようだ。
終わりのほう、「戻れば煮えgで位合う陀¥津ぅgだもどれないもどれないもそれないもどれないもどれないけど」のところからは、強引に終わらせようとする意図が見て取れる。やや、性急であった。
全体に、初めての挑戦、ということもあってか、凡ミスと、あざとさと、強引さが目立つようだ。
しかし、読み直してみると、自分でも気づかなかったいくつかの発見がある。スピードがプレッシャーになって、抑えが外れ、一種の「本音」が出るからだろうか。
(そんなゲスな目的は嫌だが)精神分析にも使えるかもしれない。
このフリーライティング、今後も、しばらく続けてみようかと思う。やっているうちに、だんだんわかってくることもあるかもしれないし。