バカの匍匐前進

 この人のブログは文章や表現のセンスがよく、楽しんで読んでいる。しかし、こういう悩みはどうなのだろうか。


・眞鍋が眞鍋ブログを考えた


星の数ほど存在するブログの中で、
世の中をプラスの方向にほんの1ミリでも動かすことのできる熱いブログがどこかに存在していて、
そういったブログこそ本当に評価に値するブログなんだろうな、と
感じることがあるんですよね。


 ハ。申し訳ありません。


 と、38歳にしてこのテイタラクの私としては、謝らざるを得ない。


 ここで、素早くワタクシ話を滑り込ませるのだが、以前はこの日記に、政治だの、社会だのに対する意見めいたことを書くことがあった。しかし、かなり前にやめてしまった。
 書いていて面白くないし、読んだらもっと面白くないからだ(オマケに世の中は1ミリも動かない)。


 今は、こうやって、ほぼ毎日、無用なことを書き続けている。


 理由は単純で、自分が書いていて面白い、もしかしたら受けてくれる人がいるかもしれない、そして(実はこれが最大の理由なのだが)仕事の開始を先延ばしにできるからである。
 この日記はたいてい、仕事を始める前に書いている。仕事から逃げるために、ちょぼちょぼ書き直すこともある。逃避している間は、とてもスリリングだ。


 まあ、やり続けているうちに、なーんとなくわかってくること、というのもある。
 そういう意味では、この日記は、バカが匍匐前進したらどこに行くか、という実験ともいえる。
 豆電球つけたり、スイッチ押させたり、注射したり、電気ショック与えたりして、ネズミに迷路を走らせるのと同じようなものである。


 ともあれ、ここに、たまたまこういう道具がある。インターネットとか、ウェブサイトとか、ブログとかいうらしい。
 それを使って、社会が少しでもよくなるよう意見を記す人もいれば、面白がって遊ぶ人もいる。
 独楽(コマ)があるので、ひとつ、芸をやってみせましょう、という芸人魂の人もいれば、「どれどれ、ワシによこしてみなさい。もの凄いことをやって進ぜよう。そうれ、ドッカーン!」という、何だかわからんが勢いだけはいい人もいる。
 どのやり方だからよい、というものではない。何をやらかすか(やらかさないか)が大事だと思う。


 結局、いつもの、「○○なんざ、やりたいやつが勝手にやりたいようにやればいいではないか」というワシシランモンネータブンナントカナルモンネー的ウスラバカ放置主義に落ち着いてしまった。
 この「○○」の部分に、いろいろな言葉を入れて、意見に見せかけてしまうというのが、私の基本戦法である。


 あ、「○○」に「泥棒」を入れてはいけませんよ。「放火」もダメ。「スパイ」となると、微妙ですが。


 それはともかく、彼女が「いいブログとは?」について書くことで、ブログについてあらためて考えてみた人は多いようだ(凄いトラックバックの数だ)。
 結果的に「世の中をほんの1ミリでも動かすこと」になったんではなかろうか。プラスの方向かどうかは、誰にもわからんけど。


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