問題な日本語

「問題な日本語」(北原保雄編、大修館書店 ISBN:4469221686)は、よくある、正しい/間違った日本語の用法を扱った本なのだけれども、編集方針に好感が持てる。


 構成は単純で、各項目は、全国の高校の国語の先生から寄せられた質問、学者による回答(本文)、「ポイント」と題したまとめ、の3ブロックで成り立っている。


 質問とポイントは数行、本文は3〜5ページくらいある。
 本文では、質問された日本語の用例に問題がある場合、どこが問題かだけでなく、どういう意識や文法的な理由でそういう表現が生まれたのか、あるいはどの程度の表現までが許容されるか、などが記されている。
 時には、書き手の迷いもそのまま書かれており、その明快にスパスパ行けないぐにゃごちょ感が、言葉という変態生物の面白さを感じさせる。


 ここにあるのは、言葉というのは変化していくものだ、という認識と、人によって言語感覚は異なる、という認識、そして誤用も普及すれば時には誤用でなくなる、という考え方だ。
 どれも、しごく当たり前のことなのだが、案外、そういう姿勢に立った日本語の用法本は少ないように思う。よく知らんけど。


 私自身は、言葉なんざ、各人好きなように使えばいいじゃん、と思っている。
 そうして、「その言い方は面白い。こうすればもっと面白いんじゃないか」、「ダッセー」、「んんんん?」、「いや、ワシは気にいらん」、「このバカタレが」、「これを機会に、ニッポン人、やめませんか」、などと勝手にやっていれば、いい。
 言葉を崩して遊ぶのは面白いものだし、あまりキチキチと文法や用法を気にしていては疲れる。表現のヴィヴィッドさも失われかねない。


 たとえば、「問題な日本語」の中の「ポイント」に、こんな文があった。


「〜になります」はどんな場面でも使える丁寧な接客表現というわけではありません。「なる」には<新しい状況の出現>、<非人為的>という意味があることを理解して、それにふさわしい場面で使うことが必要です。


 接客しているとき、いちいちそんなこと考えていられるか、と、可笑しくなった。
 まあ、担当の学者(編集者?)は、読者に用法を内省させるために、あえて書いたのだろうけれども。


 いわゆる「言葉の乱れ」(「言葉の変化」と呼んだほうがいいと思うのだが)というものに対し、私は楽観的だ。
 もう、日本語の用法が本当にグズグズに崩れて、お互い全く理解できない、というところまではなかなか行かないだろう。極端な階層分化やコミュニケーション手段の断絶でもない限り。


 人には美しい言葉遣いや、整然とした文を求める傾きもある。どうやら、年をとるほど、その傾向は強まるらしい。
 だから、面白がったり、文句を言ったりしているうちに、ほどほどのところで言葉の用法というのは収まると思うのだ。
 そうして、ガチャガチャやっているうちに、どうせ、死ぬときがやって来る。


 つまらないのは、日本語の用法にはきっちり固定したものがあり、それを守らなければならないとアタマから信じている、言語教条主義の輩だ。
 その手の輩が書いた文章を読むと、私は、「あっち行け。シッシ!」と声を大にして、内心、言う。


 ところで、この本の出版社や編者はウェブサイトを使って、“問題な日本語”を募集しているそうだ。


・明鏡日本語なんでも質問箱


「最近、『ちょっとスリ→ピングアゲインばっちGO!!→汗だったけどけっこうはまりんぐう→』という書き方をよく見かけますが、正しいのでしょうか」
 という質問を送ってみようと考えている。


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