悪事

 今日は珍しく、内容のあることを書きたいと思っている。
 特に、私より年若の者。キミ達をニッポン教に従い、今、こちらで勝手に目下の者と決めた。
 そこに正座し、心して、読みなさい。


 拙著「当面の敵」(ISBN:4794213794)には、冒頭に、「一面識もない山下洋輔氏に一方的に捧ぐ。」と記した。


 言うまでもないことだが、山下さんは偉大なジャズピアニストで、エッセイストでもある。


・山下洋輔「公式家頁」


 私は中学のとき、山下さんのジャズとエッセイに出会って、「こんなんでもいいのだ」と衝撃を受けた。
 「こんなんでも」というと、何か、低まって見えるけれども、そうではない。こちらが勝手に作っていた、「音楽とはこういうもの」、「文章とはこういうもの」という枠を、物の見事に粉砕されたのだ。


 以来、ずっとファンだ。


 残念ながら、ピアノは弾けないので、演奏上の影響を受けることはできなかった。
 しかし、この日記を書き始めてからは、しばしば山下さんの文章の魅力的なフレーズ(「浮かれ踊って」とか、「〜と化して」とか、「捨て身」とか、「ツリ目」とか、たくさんある)を真似てきた。大して読むやつもなかろうと、いい気になって、鼻歌唄いながらパクっていたのだ。


 そうして、ずっと書いているうちに、山下フレーズが手に馴染んできた。今ではもう、自然に出てくるようになっている。


 日記から抜粋して本にする、という話が持ち上がって、困ったことになった、と思った。もちろん、ウェブとして公開している文章でフレーズをパクっているというのも問題なのだが、本にするとなると、ますますマズい。
 非常なヤマシサ、ヤマシサ・ヨウスケ(スンマセン)を感じて、どうすんべ、と思った。そうして、本を山下さんに捧げ、前書きでひたすら謝るという、コソクな手段をとることにした。


 捧げてしまったからには、黙っているわけにもいかない。
 山下さんの事務所に、反省文とともに本を送りつける、という暴挙に出た。ひとつ悪事を働くと、糊塗するためにさらなる悪事を重ねなければならなくなる、という好例である。


 送ってからしばらくして、マンションの郵便受けに一通の封書があった。裏返すと、直筆で「山下洋輔」と書いてあった。


 どうも長くなりそうだ。一息入れましょう。佐兵衛どん、ここィ、お茶ァ、持ってきとくれ。