興味

 昨日、書こうと思って忘れていたのだけれども、「人体の不思議展」の続き。


 人体の標本を見るのも面白いのだけれども、来館者の様子やふと口にする言葉を見聞きするのもまた、別の意味で面白かった。


 二人組のオバサンが標本を見ながら、「死んじゃったのねえ」、「可哀想にねえ」と言っているのが、妙にトボケたふうでおかしかった。


 展覧会などで、とても素朴な感想を述べるオバサンは多く、私はオバサン達のそういう部分を愛している。


 随分前の話で何の展覧会だったか忘れたが、泰西名画を前にした、「あらあ、きれいねえ。写真みたいねえ」というオバサンの言葉を、今でもなぜだか印象深く憶えている。
 あるいは、昔の書画を前にして、「昔の人って字が上手かったのねえ」とのたまったオバサンもいた。「じゃなくて、上手い人の字だったから残ったんです」と一瞬、ツッコミたくなったが、もちろん、黙っていた。


 「人体の不思議展」では、展示物によって、人のたかり具合(まるでハエだな)がだいぶ違った。
 筋肉、神経を見せる全身像はさほど人気がなかった。もっとも、標本の数が多かったせいかもしれない。


 一番人気があったのは、たぶん、脳だと思う。全体の標本から、細かくスライスしたものまでいろいろあり、人々が取り囲んでいた。
 自意識の発する場所に自意識が引きつけられた、ということなのかもしれない。


 ややこしい言い方をして申し訳ない。わざと、である。わかろうがわかるまいが、構わずに行く。


 次に人気があったのは、内臓だろうか。筋肉や神経系統に比べて、日常生活で不具合や病気で苦しむことが多いからかもしれない。よく二日酔いになる人は、やはり、肝臓に特別な興味を抱くものなのだ。
 内臓については、形の面白さ、というのもある。胃腸や心臓というのは、生半可な造形作家では及ばない深遠な形をしている。


 面白かったのは、胎児のコーナーだ。一ヶ月ごとの胎児の標本が置いてあった。
 十人ほどの人が見ていて、まあ、偶然だったのかもしれないが、男性はたったひとり。あとは全員が女の子であった。
 おそらく、出産した経験がまだない年齢の子達で、全員が非常に興味深げに見ていた。自らが今後、体験する可能性の高い出来事に、大いに関係しているからなのだろう。


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