デブの人は生きていること自体が鍛錬ではないか

 みなさんは米を買うとき、一回にどのくらいの量を買うだろうか。
 おれは3kgずつ買う。自転車で15分くらいのところの米屋で買い、リュックに入れ、坂道をハーヒー言いながら登って帰る。3kgは結構重い。
 話は変わるが、先日健康診断に行った。体重は68kgだった。あまり言われることがないが、おれは意外と太っている。わたし、脱ぐとすごいんです、である。
 20代の頃は52〜54kgぐらいだったから、15kgくらい太ったことになる。運動はほとんどしないので、ほぼ純粋に脂肪の増加であろう。20代の頃と比べると、あの重たい3kgの米の袋を5つ分、脂身として運んでいる計算になる。おれって意外とパワフルじゃないか。
 そんなこんなで思うのである。デブの人(さりげなく自分を省いているが)というのは毎日、重い脂身を運んでいるのだ。鉄ゲタより大変な鍛錬ではないか。デブの人は生きていること自体が鍛錬なのだ。
 だから、街でデブの人を見かけたら、単に「デブ」と思ってはいけない。「あの人は今、凄まじい鍛錬をしているのだ」と感心して差し上げるのがよいと思うのだ。