欧米コンプレックス・バイアス

 よくネット上で「日本の○○が海外(あるいは世界)で評判!」というようなタイトルの記事を見かける。
 おれはその手のタイトルを見ると、「いいものはいい、悪いものは悪い、おれはこれが好きだ嫌いだでいいじゃん。海外の評価をやたらと気にするのは文明開化以来の呪いじゃなかろうか」などと思う。
 もう十年かそれ以上前になるが、「国家の品格」という本がベストセラーになったことがあった。ひたすらに「ニッポンは素晴らしい!」と言い立てるばかりであんまり内容のある本とは思わなかったが、その「ニッポンは素晴らしい!」にはたいがい2つの論法があった。「日本のこれこれは素晴らしいと欧米からも評価されている」と「日本のこんな素晴らしさも欧米人にはわからない。野蛮な輩だ」で、褒められてのぼせあがるか、人を貶めて自分が相対的に上に上がった心持ちになるか、どちらにしてもあんまり品格のある論法ではないなー、と感じたものだ。
 日本で「海外」というと、しばしばそれは欧米のことであって、特に「海外で評判」というと、十中八九は欧米での評価を指す。ウズベキスタンやナイジェリアやイエメンやボリビアやモンゴルでの評判を指すことはあんまりない。
 おれの見立てでは、欧米にヤラレテイル感、あっちのほうがスグレテイル感というのは日本にだいぶしみついている。それがたまたま日本に優れたものが登場して欧米で評価されると鼻高々になったり、優れているはずなのに欧米の人間にわからないと「こんなよさもわからないのか」というふうにこっちのほうが上的誤解をしたりしてしまうのだと思う。「文明開化以来の呪い」とはそういう意味だ。
 そんな変な自我の高め方は、まあ、一時的に気持ちよくはなれるかもしれないが、先々あまり自分にとってプラスになるものではないだろう。もっと自分で感じたり、味わったり、考えたりすることを大事にすればいいのにな、などと馬鹿は馬鹿なりにおれは考えている。