笑いについて

 笑いという感情というか、情動はなかなかに興味深くて、時折、考えてみることがある。

 代表的なものは、うれしくて笑う、おかしくて笑う、だろうが、この2つ、少しばかり違っているように思う。

 生まれて間もない赤ちゃんがにこにこと笑うのはおそらくうれしくて笑っているのだろう(おかしくて笑っているのだとしたら、恐るべきことである)。おかしくて笑うというのがいつ頃から始まるものなのかは知らないが、いないいないばあをすると笑うというのは、おかしくて笑うことの初歩的段階なのかもしれない。

 我々がうれしくて笑うときは、とりたてて何かを滑稽に感じているわけではない。一方、おかしくて笑うとうれしいような心持ちになるが、だからといって、おかしいとうれしいはイコールでないだろう。

 もしかすると、我々はおかしいと笑ってしまい、笑うこととうれしさは非常に近しい関係にあるから、笑ってしまったことで(ついうっかり?)うれしさも引き出されるんじゃなかろうか。いわば、笑ったせいでうれしさが道連れになるのではないか。例によっての思いつきだが。

 ああ、我ながら下手くそな文章で、読んでいて何だかわかんないでしょうね。図式的に表すと、

おかしい → 笑う → うれしい

 と、そういう流れで、我々はおかしいとうれしいような勘違いをしてしまうんではないか。ワハハハハハハハハ(自信がないので笑って誤魔化しました)。

 笑いには他の種類のものもあって、愛想笑いや照れ笑いというのは、うれしさやおかしさとはちょっと離れているように思う。

 わたしはよくコケるのだが、人前でコケるとつい笑ってしまう。照れ笑いとも言えるし、愛想笑いにも似ている。そこんところの感情を掘っていってみると、なかなか複雑で、コケた後に笑うのは、人との間をとりあえず繕うために笑うのだろう。では、なぜ笑うと人との間を繕えるのかというと、笑いはうれしさに非常に近く、うれしさは人との間の潤滑油になる(人を油断させる)から――だろうか。一方で、コケた自分をおかしく感じているところもある気がするし、うーん、これまたきちんとした結論が出ない。

 あるいは、羞じらって笑う、なんていうのもある。妙齢の娘さんが羞じらって笑う、なんていうのはなかなか結構なもので、わたしなんぞそれだけでお銚子二本はイケるが、あれはどういう流れで羞じらいが笑いに結びつくのだろう。恥の感情+愛想笑い=羞じらいの笑い、ということだろうか。そう簡単に割り切ると、何かが欠けている気もする。あ、欠けているのはおれの思考力か。