ゲバラ男

 パスポートが切れていたので、更新に行った。


 ああいう官憲の根城へ行くというのは、どうもあまり気分のいいものではない。


 ヘヘ、などと、時代劇水呑み百姓的作り笑い腰引け態度で神奈川のパスポートセンターに行ってみると、職員の人たちは随分と丁寧で親切なのであった。
 見本と見比べながら申請書類に記入していると、「何かお困りではないですか。ここにおりますので、お声をおかけください」などと言ってくれる。


 前に行ったのはもう何年も前なので覚えていないが、こんな物腰の低い場所であったろうか。
 あのあたりのやわらかい職員の人たち、偽造パスポートを作りにきたヤツがバレたら、そこの者ちょっと来い、パスポートの菊の御紋を何とこころえおるか的態度に豹変するのだろうか。


 整理券をもらう列に並んでいると、前に若いカップルがいた。
 イチャイチャして、男が女の頬をつついたりしておる。


 わたしは列に並んでいるだけでイライラする。列チャボだ。
 そのうえ、そやつらは若い。さらにはイチャついておる。


 カーッと来ましたね。瞬間湯沸かし器。
 本日の仮想敵は決まった。


 そやつら、自分達の順番が来て、係員の前に立ってから、ゴソゴソとバッグを開け、書類をえーと、などと取り出している。


 先に用意しておけ、このアホウ。と、列チャボはますます怒る。
 頬をつついたりなんぞしておるから、そういう間抜けな次第になるのだ。この世には、「だんどり」という美しい言葉があるのを知らんのか。


 しかし、そやつらは瞬間湯沸かし器が後ろで湯を吹いているとも知らず、係員の質問に要領を得ない答をしているようだ。
 顔を見合わせて、ニヤつきながら、「えーと、どうだっけ」みたいなことを喋っている。


 ようようそやつらが終わって、振り返りざまに顔を見ると、女のほうはまあ世間並みだが、男のほうは見事なイモ顔であった。


 申請のカウンターの前で待っていると、近くに件のカップルがいた。本日の仮想敵であるからして、監視した。


 男は、例のジーンズずり下ろしである。あのジーンズの尻のあたり、ウンコをたれるときにはちょうどいい受け皿になるかもしれない。


 さっきは気がつかなかったが、男のTシャツにはチェ・ゲバラがプリントしてあった。


 うーむ、とわたしは思った。
 パスポート・センターにチェ・ゲバラ。もしかして、馬鹿なのであろうか。


 意味を考えろよな、意味を。
 こういう手合いだろう。ビーチリゾートで寝そべりながらボブ・マーレーの「ゲット・アップ、スタンド・アップ」を聞いたり、ブランド物を身に着けながら「♪イマ〜ジン、ノ〜・ポゼッショ〜ン」などと歌うのは。


 しかし、申請カウンターでは、何事もなく職員がにこやかに対応し、そやつらは相変わらずイチャついて、身をくねらせながらパスポートを作るのであった。