人間、危機というのはいつ訪れるかわからない。
「滝田ゆう落語劇場」(ちくま文庫)を読み返していたら、こんな川柳があった。
さァ事だ 馬の小便 渡し舟
いいなー、と思う。
このスリル。このくだらなさ。よい。
昔の渡し舟というのは、川を渡るにはそれしか手段がないから、もっぱら乗り合いだったそうだ。
武士も、百姓も、町人も同じ舟。馬だって、舟に乗るしか手はない。
でもって、ゆらゆら揺れる舟の上で、横に馬がいて、ブフルルル、とやっているのも、シチュエーションとしては相当スリルがあるが、そいつが突然、ジャーとばかり小便するのだから、乗り合わせた客達の驚愕と緊迫感たるや、いかばかりだろう。
しかし、引いて見ると、どこかのどかなふうもあり、馬鹿馬鹿しくもあり、である。
細かに見ると、「さァ事だ」で“ん? 何だろう”と思わせる。
「馬の小便」でくだらなさを感じさせる。しかし、まだ何のことかわからない。
おしまいの「渡し舟」で、状況が見えてきて、読む者の想像の中に、シーンができあがる。のんきな馬の表情や、慌てふためく乗り合いの客達、馬に怒る博労、しょうがねーなーというふうの船頭、青い空、白い雲、空を飛ぶひばりまでが見えてくるかもしれない。
わたしは、笑いというのは物事を引いて見るところに生まれると思っているのだが、その証左となるような川柳だと思う。
- 作者: 滝田ゆう
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