とりあえず謝っておくのココロ

 韓国や中国で日本に怒っている人々は、「過去の歴史について、謝罪がない(足りない)」と言う。


 国家の話となると、謝るの謝らないのというのは、謝るだけでは済まない話になるので、謝ったり謝らなかったりするらしい。
 煙に巻いたが、これは、最近の反日運動とその背後にある事実関係について、私にきちんとした意見を書くだけの知識と能力がないからだ。
 つまりは、私の頭の中が煙に巻かれているのである。今、開頭したら、モクモクと煙がたちのぼって、たちまち煙突と化すであろう。


 いや、国家の話だけではない。国際的な交渉の場では、企業の賠償問題から売買契約、露天商との値切り勝負に至るまで、簡単に謝るわけにはいかない場合が多いようである。
 おそらく、「謝る」ことに対する受け止め方と、「で、どないしてくれんねん」というその後の交渉が、文化によってだいぶん違うからだろう。


 一方、日本国内に目を向けると、やたらと謝ってしまう人が多いのだ。


 昨日、書店に行ったら、いくつかあるレジに若い店員が並んでいた。ひとりはなかなか可愛い女の子だったが、それはここでは関係ない(とりあえず、そのレジに行ったけど)。


 そのうちの2人が、胸に名札と一緒に、大きめのプレートを付けていた。こう書いてあった。


「研修中 ご迷惑をおかけしております」


 ご迷惑も何も、こちらは、今、初めてその人々に接するのだ。少なくともまだご迷惑をおかけされていない。


 まあ、研修中であれば、まだ足りない知識も多く、対応にも行き届かないところがあるかもしれない。それでも、胸のプレートに「ご迷惑をおかけしております」と記すことはないじゃないか。
 少なくとも、客が初めてそのプレートを目にするとき、研修の人はまだ迷惑未遂のはずだ。


 では、どう記せばいいのだろう。


「研修中 ご迷惑をおかけするでしょう」


 と、予告されても困ってしまう。


「研修中 ご迷惑をおかけするに違いありません」


 と断言されると、そこまで研修の人達にプレッシャーをかけなくても、と思う。


 まあ、


「研修中 ご迷惑をおかけします」
「研修中 ご迷惑をおかけするかもしれません」


 くらいが妥当なところか。


 それにしても、


「研修中 ご迷惑をおかけしております」


 である。


 研修の人々に謙虚さを身につけさせる手段なのかもしれないが、私はむしろ、「とりあえず謝っておけばよい」というニオイをそこに嗅ぎ取った(犬だね、まるで)。
 研修の人々が卑屈に見え、少々哀れだった。と同時に、かえって、店側の態度を不誠実にも感じた。だって、こちらは謝られる筋合いがないんだから。


 話は変わるが、大企業が不祥事を起こすと、たいてい、企業トップの記者会見が行われる。
 企業トップが、現時点でわかっている事実関係と、それに対する謝罪コメントを述べる。その後で、会見の席についた全員が「それでは、そろそろ……」、「……参りますか」といった感じでぎこちなく立ち上がり、深々と頭を下げる。取り巻くカメラのシャッター音がひときわ激しくなる。


 大企業の不祥事が増えたのか、バレやすくなったのか、最近、やたらと謝罪会見を目にする気がする。
 大企業の経営者をねたましく思っている人は多そうだから、ある種、溜飲を下げられるシーンなのかもしれない。


 一方で、謝罪会見はだんだん儀式化してきている。いや、元々、儀式なのかな。
 ともあれ、会見の運び方や頭の下げ具合の様式ができてしまって、「とりあえず謝っておけばよい」というニオイを、またまた犬の私は嗅ぎ取ってしまうのである。


 たまには、目の前の机に、突然、ピョンと飛び乗って、右へ左へと激しく土下座してみせる企業トップがいたっていい。
 あるいは、机に、何度も、何度も、頭を打ちつけながら、「この、私が、私が、私が、いけないんです。社員の、社員の、社員の、教育を、きちんと、き、きちんとやっておかなかったから。管理に、手落ちが、て、て、手落ちが、あったから。くそー、なんでおれはこんなにダメなんだっ!」と、額から血をダラダラ流して謝ってもよい。そのほうがよっぽど気持ちが伝わる。伝わり過ぎか。


 その点、もうだいぶ前の話だが、山一證券が自主廃業したときの社長の号泣会見はよかった。「欧米ではあんな涙を流したら笑われる。経営者失格とされる」という意見もあったが、いいじゃないか、ここは欧米じゃないんだし。
 私はいい会見だったと思う。少なくとも、演技や嘘っぽさ、「とりあえず〜」という態度は見えなかった。いっそ、あの社長で、もう2、3回、自主廃業してもらいたいくらいだ。


 顔が似ているせいなのかもしれないが、なぜか、あの社長の泣き顔と、「平成」の文字を掲げた小渕元首相(当時は内閣官房長官)の顔が、目を閉じると、いつも瞼の裏に浮かぶのである、なんてことは別にない。


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