人格と言葉

 西郷隆盛という人はさすが日本史上の雄だけあって、その影響力は現代にも至っている。


 例えば、鹿児島弁。あれはもちろん、鹿児島の人が使っているから鹿児島弁なのだが、鹿児島に縁のないわたしなんぞは、「西郷どんの言葉」に見えてしょうがないのである。


 試しにWikipediaで鹿児島弁をご覧いただきたい。


Wikipedia - 薩隅方言


 鹿児島弁に慣れている人以外にとって、これは「西郷どんの言葉」以外の何物でもない、と言っても過言ではない、と言うのはさすがに過言か。


 ま、しかしですよ。「〜ごわす」、「〜しもそ」、「よか」といった言葉使いを見たとき、おそらく多くの日本人の頭に浮かぶのは、西郷さんの顔ではないかと思う。


 逆に言うと、これらの言葉には、西郷さんの伝説的人格が染み込んでいるともいえる。


 例えば、昨年、安倍総理が就任直後に行った所信表明演説はこうだった。


 この度、私は、内閣総理大臣に任命されました。日本が、厳しい時期を乗り越え、新世紀の発展に向けた出発点に立った今、初の戦後生まれの総理として、国政を預かる重責を与えられたことに、身の引き締まる思いです。多くの国民の期待を正面から真摯に受け止め、身命を賭して、職務に取り組んでまいります。


 まあ、別に変なことを言っているわけではないが、いかにも軽い。
 では、ここで、西郷さんにお出ましいただき、同じ内容を語っていただこう。


 こん度、オイは、内閣総理大臣に任命されもした。日本が、厳しか時期を乗り越え、新世紀の発展に向けた出発点に立った今、江戸時代生まれの総理として、国政を預かる重か責任を与えられたこっに、身ん引き締まる思いでごわす。多くの国民の期待を正面から真摯に受け止め、身命を賭して、職務に取り組んでいきもそ。


 安倍総理と違って、「身命を賭して」という言葉が飾りに聞こえない。放っとくと、そのうち、本当に腹を切り出しそうである。


 安倍総理の演説はこう続く。


 国政を遂行するに当たり、私は、まず、自らの政治姿勢を、国民の皆様並びに議員各位に明らかにいたします。私は、特定の団体や個人のための政治を行うつもりは一切ありません。額に汗して勤勉に働き、家族を愛し、自分の暮らす地域や故郷を良くしたいと思い、日本の未来を信じたいと願っている人々、そしてすべての国民の期待に応える政治を行ってまいります。みんなが参加する、新しい時代を切り拓く政治、誰に対しても開かれ、誰もがチャレンジできる社会を目指し、全力投球することを約束いたします。


 対して、西郷さん。


 国政を遂行するに当たり、オイは、まず、オイの政治姿勢を、国民んシ並びに議員んシに明らかにしもんそ。オイは、特定の団体や個人のためん政治を行うこっはせん。額に汗して勤勉に働き、家族を愛し、自分の暮らす地域や故郷を良かこっしたい思い、日本の未来を信じたいと願っとぅ人々、そしてすべてん国民の期待に応える政治を行っていきもす。みんなが参加すぅ、新しか時代を切り拓く政治、ダイに対しても開かれ、ダイもがチャレンジできる社会を目指し、全力投球するこっ、約束しもんど。


 どちらの演説が心に響くだろうか。人格と言葉、ということについて考えさせられる。


 恐るべし、西郷さん。没して、百三十年。今でも安倍総理の所信を立派なものに変えてしまう。


 なお、言い換えは、鹿児島に馴染みのない稲本が、方言集を見ながらテキトーにでっち上げたものです。たぶん、鹿児島の人からすると変な表現もあるでしょうが、お許しを。


 あいがともしゃげもした。

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「今日の嘘八百」


嘘三百三十 企業トップの間で、謝罪会見セミナーが引っ張りだこだという。


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