嗅ぐ

 あるいは、今日はバッチい話になるかもしれない。
 その手の話が苦手な方はご遠慮いただきたい。なんだったら、ここらへん(↓)でフローラルに時間をつぶしてきてはいかがか。他の皆さんが読み終わった頃を見計らって、戻ってくればよい。違うか。


花いっぱい.com


 さて、ここで取り上げたいのは「嗅ぐ」という行為である。


「嗅ぐ」という漢字を当てた時点で、素敵な香りの話にはなりそうにないという予感がする。花だお香だキャンドルだ、という人々は、たぶん、「かぐ」あるいは「匂いを楽しむ」と書くのだろう。
 この「匂い」というのも、字によって、大きく印象が変わる。「匂い」だと、梅だスモモだシャンプーだとなるが、「臭い」となると「くさい」とも読めてしまう。「ニオイ」と来たら、小林製薬の領分だ。


 例によって、話がそれました。


 脱いだ靴下のにおいを嗅ぐ。あれは、いったい、どういう心理によるものなのだろうか。


 え、そんなもの、嗅がない? ア、ソウ。そういう方は、どうか、ここらへん(↓)を勝手にさまよっていていただきたい。


Aromatherapy Treatment


 さあ、これで邪魔者は立ち去りました。心ゆくまで嗅ぎましょう。


 たまに私は脱いだ靴下のにおいを嗅ぐことがある。そして、当然、「おわ」となるのだ。
 靴下のにおいや、「おわ」となることは、あらかじめわかっている。
 なのに、なぜ嗅ぐのか?


 靴下だけに限らない。
 鼻くそを取って、そのにおいを嗅ぐこともある。


 話はまたもそれるが、あれも不思議だ。なぜ鼻くそは、鼻の中にあるとき臭く感じないのに、鼻から取り出すと臭くなるのか。
 ♪謎が謎呼ぶ、殺人事件〜、である(林檎殺人事件 by 郷ひろみ)。


 しかし、この謎はここに残しておく。このままでは、先に進まないからだ。


 その他にも、私は裸足でベッドに腰掛けていて、ふと足の裏のにおいを嗅いでみることがある(意外と体がやわらかいのだ。脚を後頭部に回すことだってできる)。あるいは、足の爪を切った後、その爪のにおいを嗅ぐこともある。


 なんか、今、非常な不審のマナザシで見られている気がしてきたな。もう、こうなったら、同好の士だけ、ついてきてください。


 いずれのケースも、「おわ」となることはわかっているのだ。そして、においも予想を大きく外れるものではない。なぜ、そのように無益な、場合によっては健康を損なう恐れすらある行為をするのか。


 犬的な理由によるものだろうか。
 周知の通り、犬はにおいを嗅ぐことで、獲物だの、縄張りだの、異性だの、恋敵だのについての情報を得ている。
 あるいは、人間の赤ちゃんだって、放っておくと這いずり回り、そこらへんのものを口に入れて、ナメまくる。あれは食えるものかどうか、本能的に探っているのだと聞いたことがある。


 しかし、靴下、鼻くそ、足の裏、足の爪だ。食い物でないことはわかっているし、縄張りとも恋敵とも関係ない。嗅ぐことによって、ほとんど、何の情報も得ていないのだ。


 一種の自傷行為だろうか。
 自傷行為というのは、わざとナイフで自分の体を傷つけたり、火傷したり、壁に頭を打ち付けたりすることだ。
 理由は、トラウマや鬱、対人関係の失敗、アピールなど、いろいろらしい。また、必ずしも簡単に解明できるものではないという。


 しかし、たとえば、女の子にふられたから鼻くそのにおいを嗅ぐ、というのもどうかと思うし、少なくとも私は、子どもの頃の悪しき記憶の故に靴下のにおいを嗅ぐわけではない。
 それとも、自分で記憶を封印しているだけで、実は幼児の頃、二千足の脱ぎたての靴下とともに日の当たらぬ三畳間に閉じこめられたことでも、あったのだろうか。


 もうひとつ、考えられるのは、「確認」である。
 脱いだ靴下は臭い、鼻くそは臭い、足の裏は臭い、と、確認するために、においを嗅ぐのだ。
 それらを嗅ぐとき、確かに、すでに知っていることを繰り返す、という感覚はある。しかし、どうしてそんなものを「確認」したくなるのかは、さっぱりわからない。


 結論は、特にない。そろそろ、花いっぱいやアロマテラピーに行った人も戻ってきそうだし、今日はここまでとしたい。


 なお、二日酔いのときにやってはいけない行為のひとつに、「犬の背中のにおいを嗅ぐ」というのがあるそうだ。想像するだけで、十分、自傷行為である。