人の四季

 昨日に続いて、格言で始める。


「お若いですね、と言われたら、年をとったと思え」


 これも、真理だ。


 一応、説明しておくと、相手がそもそも「この人は年をとっている」と思っているからこそ、「(それに比べて)お若いですね」と言う、と、まあ、そんな意味だ。


「お若いですね」と言われそうな例というと、たとえば、秋吉久美子や吹雪ジュンがそうだろうか。森光子や由美かおるとなると、「お若いですね」だけでは済まされない、怪物的な何かか、魔術的テクニックの存在を感じるが。


 読んだことはないけれども、「わかさ」とか、「いきいき」という名前の高年齢層向け雑誌があったと思う。


 さすがに、「老け込み」とか、「しにしに」なんていうブラックなタイトルはつけづらいだろうけれども、何かこう、過剰な若さ信仰のようなものを反映しているように思う。
 今の世の中、無批判に「若いって素晴らしい」としすぎなんじゃないか。


 確かに、「若いって素晴らしい」こともあるけれども、多分に性的な要素が絡んでいると思う。性的、といっても、かなり広い意味でだ。


 煎じ詰めれば、ピチピチ、ムチムチ、パッツンパッツンの素晴らしさ。広い意味での。
 これでは、さっぱりわからんか。


 天才エロオヤジのひさうちみちおが、誰かとの対談で、「いいですなあ、若い女のエキスが吸えて」と言っていたけれども、そういうエキスの問題。
 ますますもって、わからんか。


 だんだんヒヒオヤジめいた文章になってきたな。


 あと、年が若いと、疲れと経験値が少ない分、無鉄砲なことができて、それがいいふうに働く場合もある。
 その裏返しで、「若いって恥ずかしい」となるケースも多い。私は、もっぱら、こっちのほうだった。


 いや、別に嫉妬や悔し紛れで言っているわけではないよ。今さら、あの恥ずかしくて、不都合の多い10代・20代に戻りたくはない。


 若々しくあろうとか、若づくりとか、無駄な努力とまでは言わないが、どうなんだろう。そっちのほうを追いかけるのは、賢い選択なのだろうか。
 わかりやすい実例を思いつかず、観念的にしか語れないのだけれども、人にも四季の美しさのようなものがあるように思う。


 秋の人が、春や夏の美しさを求めても、これはなかなか難しい。
 秋には秋の、冬には冬の美しさがあって、それはもしかしたら、枯れや寂しさにも通じるのかもしれないが、いいではないか、秋なんだし、冬なんだし。


 たまに、冬の美しさを持ったお婆さんを見かけることがあって、好感を抱く。そういう人は若づくりをしていない。年を年のままに受け入れていて、それでいて美しい。


 無理に若く見られようと頑張ってしまうことのほうが、よほど醜いと思うのだけれども、どうだろうか。