思考停止!

 ネットでSNSやブログなんかを見ていてよく「思考停止」という言葉を見かける。

 おれはあの言葉が昔からあまり好きではなくて、なんでかなー、としばらく考えていたら(思考進行したのだ)、答えが出てきた。

 当たり前だが、世の中にはものすごくたくさんの事柄がある。コロナもあれば自民党総裁選もあれば選挙もあれば殺人事件もあればオリンピックパラリンピックもあればアフガニスタンの情勢もあればウイグル自治区問題もあれば日本の経済構造の問題もあれば格差社会の問題もあれば少子高齢化の問題もあれば日本における隠微な差別の問題もあればよく知らないけどフランス方面の思想方面の問題もあれば(いい加減だな)江戸時代の儒教と洋学の関係の問題もあれば南米における文学の問題もあれば明日の天気の問題もあれば家庭における適切な天ぷらの油温度の問題もあれば今日どこで何を食うという問題もあれば皇位継承の問題もあれば日本の伝統とはなんぞやという問題もあれば粋とは何かという問題もあれば京都の職人の継承問題もあればデジタルトランスフォーメーションの問題もあればマスクしてない人に向けてどんなふうに言葉をかけるかかけないかの問題もあれば家庭菜園の問題もあればペットショップの子猫を可愛いと眺めながらその生産や流通の問題もあれば養鶏場の鶏の飼育状況の問題もあればあれやこれやの問題もある。

 それらの問題全てをひとりの人間が考え続けることはできないわけで、どうしたって何かの問題について思考しないでいるしかないのだ。

 よく「思考停止だ!」と揶揄されるのは、思考してないのに適当に話す、書くということが実際にはよくないのであって、思考停止自体は仕方ない。

 思考停止と呼んで小馬鹿にする後ろには思考することは素晴らしいというそれこそ思考してみると本当かどうかよくわからない思い込みか下手すると思い上がりがあると思う。まあ、馬鹿の考え休むに似たりという言葉があって、これを持ち出すと、今日のこの文章だって休んでいるようなものなのだが、何だかんだと思考すればよいということでもない。と思うんだけどね。

 もう少し言うなら、「思考停止だ!」と言い立てる側はどこか優越感を持っているようにも思え、それがイヤな感じを強めているようにも思う。いわゆる上から目線というやつですね。

 正しくは「ちゃんと考えずに適当なことを言いなさんな」ということだと思うんだけど、違うかな。