ここまで三週にわたってデブについて書いてきた。一回目はデブの基礎知識、二回目はデブの美的側面からの考察、三回目はデブと神経科学がテーマであった。最終回となる今回は生物史、人類史をふりかえりつつ、デブの未来像について書きたいと思う。なお、約一ヶ月にわたってデブについて考えてきたことに、今、おれは暗澹たる思いです。
第一回の「デブと代謝」で書いたように、デブ化の基本公式は:
摂取エネルギー − 消費エネルギー = デブ化エネルギー
である。消費エネルギーの部分を分解すると:
摂取エネルギー − (運動使用エネルギー + 代謝エネルギー) = デブ化エネルギー
と言える。
さて、そもそも動物においてなぜデブ化エネルギーなるものが発生したかというと、将来飢えたときに備えての貯蓄あるいは保険であったろう。動物の脅威には、喰われること、子孫を残せないこと、飢えることの三つがある(病むことの脅威は左記の三つに分散される)。デブ化エネルギーとは飢えることに備えて脂肪のかたちで蓄えたエネルギーのことであって、人間においては腹部がその最も中心的な蓄積装置である。
ここでいったん現代の技術開発方面に目を移す。現代におけるテクノロジー進化のクロスロード(消失点、あるいはネック)はエネルギーの蓄積方法である。自動車においては、これまでもっぱらガソリンを蓄積エネルギーとして使用してきたが、ガソリンの元となる原油は埋蔵量に限界があるうえ、輸送・流通の問題が常につきまとう。そこでここ十年ほどの間に急速に技術進化しつつあるのが電気自動車だ。ただし、ご案内の通り、その性能は重量の点でも効率性の点でも電池(エネルギー蓄積の一方法)によるところが大きい。一方で情報技術のほうに目を移せば、スマホに代表される情報機器の小型化と移動性はやはり電池性能の向上による。
テスラ・モデル 3(2016)
iPhone XS(2018)
さて、先ほどの公式を左右逆に記すと:
デブ化エネルギー = 摂取エネルギー − (運動使用エネルギー + 代謝エネルギー)
である。
デブ化エネルギーとは前述の通り、動物における蓄積エネルギーであるから:
蓄積エネルギー = 摂取エネルギー − (運動使用エネルギー + 代謝エネルギー)
と書き換えることもできる。
人間の個体をひとつのシステムとして考えてみよう。すると、人間とは蓄積エネルギーを作り出すための一種の装置と捉えることができる。特に、上記の数式において、摂取エネルギーが豊富であるのに代謝エネルギーが落ちる中年〜壮年期は、蓄積エネルギーを効率的に作り出せる、きわめて優れた時期である。その蓄積エネルギーはお腹まわりを中心として脂肪のかたちで蓄えられる。
おれは人間と科学技術の未来についてひとつのビジョンを持っている。脳に電極をつないで情報システムと接続する、などという考えを持つ者がいる。おれに言わせれば、構想が小さい。おそらく、人間の肉体の有効な活用を考えれば、進むべき方向は人体のパーツ化である(義手義肢の技術がその方向に踏み出しつつある)。人体の各部分がパーツとして取り外し、取り付け可能になれば、あの世界のデブ共通の叫び、「腹の脂肪をむしり取りたい!」という夢が実現できるのだ。しかも、蓄積エネルギーとして活用可能なかたちでだ(具体的にどういうふうに活用するかはいささかグロテスクになるので書かない)。
動物の進化、人体の進化、そして科学技術の進化はここにひとつの結節点を見る。「腹の脂肪をちぎって燃やす」。もしかすると、すべての進化は密かにここに向かってきたのではないか、とおれは思う。
しかし、人の夢と書いて、儚い(はかない)と読む。おれが生きているうちはこの腹の脂肪はちぎれないだろう。子どもたちよ、意志を継いでくれ。このデブはもう飽きちゃったよ。