祭り

 相変わらず土日は雨が降らない限り自転車でそこらへんを走り回っている。
 素朴な感想で恐縮だが(おれは素朴なのだ)、いつも感心するのは自動車の多さである。これだけ自動車が大量に走り回って、よく石油がなくならないものだ、と思う。
 いや、自動車に限らず、他の交通手段だって、プラスチックだって、ゴムだって、あるいはエネルギーだって石油を利用しているのだから、地球には随分石油があるもんだなーと馬鹿みたいに感心する(おれは馬鹿なのだ)。
 小学生の頃だから、今から四十年も前になるが、その頃すでに石油の枯渇まであと三十年から五十年と言われていた。その通りだったら、今頃、石油は逼迫しているか、すでに無くなっているはずなのだが、いまだに盛大に使われている。新しい油田を見つけたということもあるだろうし、油田の探索技術や掘削技術が発達したこともあるだろうし、石油の精製技術が上がって従来では使い物にならなかった質の悪い原油からも精製できるようになったこともあるだろうし、省資源技術が進歩したこともあるのだろう。人間というのはしぶといものですね。
 しかしまあ、代替エネルギーや代替工業原料の技術が飛躍的に進歩しない限り、いずれ石油は枯渇するだろう。
 石油は数億年前から蓄積された生物由来の資源というのが学会の主流の説だそうだ(異論もあるらしい)。だとすると、数億年かけて蓄積した資源をここ百年くらいでわっと使っていることになる。蕩尽による浮かれ騒ぎが祭りの本質だから、ここ百年プラスあとしばらくというのは、実は人類の祭りの期間なんではないか。
 馬鹿ならではの無鉄砲な飛躍だが、短期の祭りが毎年のお祭り、中期の祭りがバブル(東京オリンピックまで?)、長期の祭りが石油祭りかもしらん、と思うのである。