藤岡弘、という人は発想と行動が面白くて、例えば、だいぶん昔に藤岡弘から、藤岡弘、に改名した。
カギカッコ付けないと何だかよくわかりませんね。「藤岡弘、」が現在の芸名という意味である(改名したのは、モーニング・なんとか。よりはるかに先である)。
この改名の件もそうだけれども、己の道を行くというか、本人は真面目に信念を持っていろんな物事をやるのだが、その結果を見ると、どこか変テコである。
見ていて、何かこう、困ったような心持ちになる。
己の、うまく適応できない部分を見せられているような気になるからかもしれない。
えーと、わからなきゃ、いいです。それだけ幸せなのだと思います。
藤岡弘、を見ていると、まわりに誰か止める者はいないのか、とも思うのだが、止めるのは野暮、放っておいたほうが面白いということなのか、それとも、止めても本人が重戦車のごとく突破してしまうのか。
まあ、よい。問題は、藤岡弘、の名前である。
最初に書いたように、彼の人の芸名は、
なのだが、「、」の代わりに他の記号をつけると、どういう印象になるだろうか。
例えば、
藤岡弘★
と、こうすると、アメリカンな感じになる。もっとも、Yo! Yo!な人にするなら、
藤岡★弘
のほうがいいかもしれない。ただ、安易にまとめた感じがして、藤岡弘、的発想からは遠い。
藤岡★琢也
関係ないですね。
誰でも思いつくのが、
藤岡弘!
であるが、こういう芸名をつけるのは、照れということを知らない人であろう。
立川談志が「照れねえやつはダメだ!」というようなことを何かで語っていたが、同感である。
同じ伝で、
藤岡弘♪
というのも考えられるが、こう来ると、照れだなんだの前に、媚びを感じて、よろしくない。「どう? どう? 可愛いでしょ?」というファンシーのイヤラシサに通じるものがある。去れ。
藤岡弘・
と、中グロを付けるのは悪くないが、「己は未完成」というメッセージの点では、オリジナルの「藤岡弘、」のほうが上である。「藤岡弘・」は、未完成というより、中途半端だ。
藤岡弘♂
いや、そんなにオスであることを強調する必要はない。
かといって、「藤岡弘♀」、実は女だったんです、と告白されても困るが。
藤岡弘↓
あ、ヘコんだ。
藤岡弘↑
あ、立ち直った。
こうやって見てくると、藤岡弘、の「藤岡弘、」はとてもいい名前であることがわかる。今試してみたものと比べても、一番よいように思う。
対抗できるとしたら、せいぜい、
藤岡弘?
と、疑問を感じてしまうくらいだろうか。