日本史の授業で、小学生に一番最初にウケる人物は、小野妹子(いもこ)だろう。
遣隋使の人で、例の「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という、当時の国際感覚からすると夜郎自大以外の何物でもない書を持っていった人だ。
よくまあ、斬られずに戻ってこれたものだと思う。
おまけに、帰国途中に、中国の皇帝からの返書をなくしてしまったんだそうで、剛胆だったのか、ぼーっとした人だったんだか、よくわからない。
がしかし、小学生がウケるのは、そんなこととは関係ない。単に「イモ」だし「子」だからである。
Wikipediaでつらつら読んだ程度だが、小野氏というのは平安前期までなかなか栄えた一族らしい。
小野妹子の子孫に小野篁(たかむら)がいて、だいぶ変わった人だったようだ。
この人もご先祖様と同じく遣唐使に選ばれた。しかし、使節のトップと喧嘩してバックれてしまい、おかみの逆鱗に触れて流罪になった。
剛胆なところもご先祖様と同じだったのだろうか。
伝説だが、閻魔大王の裁きのお手伝いもしていたという。
京都の小野篁の墓の隣には、紫式部の墓がある(もちろん、どちらの墓も言い伝えである)。
紫式部が「源氏物語」というエロ話を書いて地獄に落ちたところを、小野篁が閻魔大王にとりなした縁だという。