戦後の日本社会と電気文明の関係についての一考察

 今日は、珍しく、深く重く真面目な話をしようと思う。


 第二次世界大戦以降の日本の家族関係の変化および女性の社会進出と、電気文明の発展の関係について、つらつら考えているうちに、ひとつの発見をした。


 戦後、特に高度経済成長を終えて後の日本社会、日本の文化状況を象徴する言葉は、これではないか。


  チンする


 いや、立ち上がらずともよい。それは、チンチンだ。それから、あなたはたぶん、犬ではない。


 戦後の日本社会の変化において、家電製品が与えた影響は非常に大きい。
 何しろ、電気洗濯機がなければ、我々はいまだに洗濯板でゴシゴシやっていなければならなかったのだ。


 電気洗濯機、掃除機、炊飯器は核家族化を進める原動力のひとつになった。
 そして、現在、社会は核家族化を終え、個別生活化の進展途上にある。


 核家族化における電気洗濯機、掃除機、炊飯器の役割を、個別生活化において担っているのが電子レンジである。
 何しろ、これさえあれば、家族と顔を合わせずとも温かい飯を食えるのだ。


 また、電子レンジは、すでに粉塵と化しつつある「父親の権威」なるものに、最後の一吹きを与える。


 ここで、ひとつの情景を想像してみていただきたい。
 今、サダハル・オーが食卓の自分の座についている。もちろん、彼にこそふさわしい場所、上座にだ。


 60代半ばとなっても、サダハル・オーの体は大きく、肩幅は広い。彼は、いつもそうであるように、悠然と構えている。


 サダハル・オーは、そのプロ野球人生において868本の本塁打を放ち、愛する巨人を石もて追われるようにして離れた後、福岡ダイエー・ホークスをパ・リーグ最強の球団へと育て上げた。先のWBCでは、日本を優勝へと導き、サダハル・オーの名を改めて世界に轟かせた。


 その、偉大なるサダハル・オーが食卓で塩ジャケの載った皿を差し出し、言うのだ。


「これ、チンして」


 サダハル・オーの権威すら失墜させる「チンして」が、世の平凡なる父親達の、塵芥のような父権をそのままにしておくわけがあるまい。


 風が吹く。そして、道には何も残らない。


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「今日の嘘八百」


嘘九十一 ディズニーの南極物語では、隊員が南極を再訪すると、犬が101匹に増えている。