議論

 例によってわたしのいっこうに役に立たない霊感に基づくのであるが、ブログというのは、元々、インターネット上の議論を目的に開発されたのだと思う。


 トラックバックの機能やエントリー(参加、出場)という言い回しからすると、そんな気がする十五の夜。


 さて、ではうまく議論の道具として機能しているかというと、必ずしもそうなっていないようだ。


 理由を、今、素早く3つ思いついた。


1. インターネット上ではキツい書き方になってしまう。
2. 自分の書いたことの一部を否定されただけで、カッとなってしまう。
3. 反感を買う主張をする人、あるいは何らかの弱みのある人のところで、わっと誹謗中傷、揶揄、からかいが繁殖するバイ菌現象が起きる。


 2の、間違いを指摘されるとまるで人格まで否定されたように感じる、というのは日本人の特徴だと聞いたこともある。


 しかし、わたしはチベット人とも、ツチ族とも、パタゴニアのでか足族とも議論したことがないので、本当のところはわからない。
「日本人」とひとまとめにしてしまうのも乱暴だし。


 3については、人間はそもそもバイ菌であるからして、しょうがない。


 で、1だが、インターネット、ブログやブログのコメント欄、BBS、メールでキツい書き方になるのはなぜだろうか。


 手紙と比べても、キツい書き方になりやすい。
 相手にメッセージを送るのが、手紙に比べて、一瞬だからかとも思う。


 しかし、顔を合わせて話をするとき(メッセージを一瞬どころかリアルタイムで交わすことになる)、キツい言い方になることはあまりない。
 むしろ、「〜のような気がしないでもないです」とか、「なるほど、そうかもしれませんね」などとボヤかす言い回しが多い。相手との余計な摩擦を避けたい心理が働くからだろう。
 あるいは、相手に同調していくような心の傾きもある。


田中「佐藤、ガキの反論みたいな遊びは止めとけ。バカにされるだけだぞ。それとタバコも止めろよ。ガキは吸っちゃいけないんだよ」
鈴木「他人に吸わせないことがマナーだとは思うが現状だと難しいな。分煙をしっかりして欲しい。費用はたばこ税増税で充ててもいいから適度に喫煙所を作って欲しい。そうすりゃレストラン禁煙でもいいよ」
佐藤「俺は吸いたい時に吸い、捨てない時に捨てる。文句あんなら力づくで止めてみろや(笑)」
山田「こういうヤツは喫煙者の目からみてもウザイ! 止めてくれよ」
鈴木「あのー、先生。捨てない時に捨てる超絶の技を私にも教えて下さいませんか」
田中「調子に乗ってられるのも今のうちっぽいぜ。佐藤、お前みたいな高卒池沼はこっちに来るな。汚れる」


 2chでテキトーに拾った書き込みを会話に仕立ててみた。こんなキツい会話が、実際に顔を合わせる場で交わされることは、まあ、まずないだろう。