慚愧に堪えない

 政治家の謝罪や反省の言葉は、どうもいちいち大仰である。


 防衛施設庁の談合事件について防衛庁長官が記者会見で述べたのが、「慚愧に堪えない」。


「慚愧」である。意味わかります?


 わたしは生まれてこの方、こんな言葉を発したことも、書いたこともない。
 何かとてつもなく後悔しているか悔しいか、そんなところだろう、という見当だ。しかし、ちゃんとした意味は知らない。


 確か、最近の仮面ライダーにそんな名前のやつがいたような……。


 広辞苑を引いてみると、こう書いてあった。


恥じ入ること。


 生まれてこの方、使ったことがなくて当然である。


 人前でおならをして、
「慚愧に堪えません」


 これでは、引かれるか、笑われるか、どちらかだろう。


 ズボンとパンツを履き忘れて外に出て、
「慚愧に堪えません」


 ピンと来ない。というか、早くパンツ履け。


 仮面ライダー慚愧。


 恥じ入って、恥じ入って、恥じ入りまくる仮面ライダーなのだろうか。


 防衛庁長官も、「慚愧に堪えない」なんて大仰な言葉ではなく、「恥ずかしいです」と言ったほうが、よほど誠意が伝わったと思うのだが。戦術的にも(つまり、本当は恥ずかしく感じてなくたって)、そっちのほうが利口だ。


 政治家や官僚がよく使う言葉に、「きわめて遺憾です」というのがある。これも不思議なほど誠意が感じられない。


 憾が遺る、のだから、残念という意味なのはわかる。何だか他人事として語っているようで、言葉が大仰な割に、薄っぺらい印象の言葉だ。


 たぶん、大袈裟に語る分、空々しさが増すのだろう。1を3に見せかけようとすると、水増しした2が嘘くさく感じられるのだ。


 いや、彼らが日常会話で「遺憾」という言葉を使っているのなら、別だよ。


大臣「行けー! まくれー! 米田ぁ!」
事務次官「そこだ! 右! 右! 右に出ろー!」
大臣「まくれっ、根性出せ! ああっ」
事務次官「ああ。あー」
大臣「……」
事務次官「……遺憾です」


 もしこんな会話をかわしているのなら、あくまで彼らとわたしとの言語感覚のギャップに過ぎない。


「万死に値する」なんていうのもある。「我、万死に値す」とかなんとか、そういう政治家の本も出ていたと思う。


 本当に死なねばならぬほど自分を責めているのなら、一万回も死ぬことはない。
 一回だけ死んでくれればそれでいい。一回だけ。


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「今日の嘘八百」


嘘四十五 日本で本当に言論の自由が認められているのは談志師匠だけである。