余は昔から足が遅いのである。
いや、普段、歩くのは速いぞよ。せっかちであるからして。
目の前を大学生どもが固まってちんたら歩いていようものなら(あやつら、なぜにああも無意味に群れたがるのか?)、錫を振り上げ、「ここな、無礼者めが!」とメタメタに叩きのめす。
しかし、走ると遅いのである。
小学校の運動会は恥をさらす場であった。中学校の体育で100mを計測するときは、なぜ左様な無駄なことをするのか、と理解に苦しんだ。
帝王学に100m走はないのである。
脚の筋肉が少ないわけではない。
足の太さは平均か、それより太いくらいであろう。脂肪もさほどない。
子供の頃、外で遊ばなかったわけでもない。
そこらへんの野っ原を走り回っては、バッタの脚をむしり取ったり、カエルの面に小便をひっかけたりしておった。い、いや、王宮の庭でな。
駆けに駆けた。走りに走った。
しかるに、なぜ足が遅いのか?
余はこの問題を考え続け、しかし、答は見つからなかったのである。
ああ、余はどれだけ、このことに悩み、苦しみ、煩悶したことか! アキレスの俊足を、いや、山田君程度でよいから普通に早く走れる足を望んだことか!
リチャード三世のごとく、「早い足をよこせ! 早い足を! 足の代わりに我が王国をくれてやるぞ!」と、我が心は叫び続けてきたのだ!!
先日、雪が降った。
外を歩き、振り向くと、余の足跡がこのような形で残っておった。
ありていに言うと、余はガニ股なのである。
いや、そんなことは昔から知っておる。
しかし、雪の上の足跡を見て、余は閃いた。
左右両足の進む方向を図示するとこのようになる。
これは前進するうえで、とても無駄な力の使い方ではなかろうか?
極端にいえば、走るとき、左右に飛びながら、進んでいるようなものである。
今、宮廷で抱えておる数学者に、三角関数とやらいうもので計算させておるところだが、もし余がガニ股でさえなかったら、矢印が斜めではなく平行でさえあったなら、余は、実はかなり足が速いほうだったかもしれぬのだ。
雪の日に知った恐るべき真実。
しかし、もう遅いのだ。
余は走ることに疲れた。若きガニ股の者どもよ、希望はまだある。
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「今日の嘘八百」
嘘三十九 頑張れば、夢は必ずかなう。