特に日本の文化の特徴なのかもしれないが、直接に話をするとき、話を合わせようとする傾きがある。
もちろん、ケース・バイ・ケースであって、日本共産党の志位委員長と靖国神社の宮司が議論して、「ウン、そうだねえ、そうだねえ」と納得しあう確率は低いだろう。
しかし、世に溢れる対談を読んだり、市井の人々の会話を聞いたりしていると、何とかお互いの話を近づけていこうとする力をよく感じる。
時には、「この人、本当はそう思っていないんだろうけど、無理に合わせているな」という場合すらある。
ところが、不思議なことに、インターネット上での匿名の議論になると、やたら攻撃的になるケースが多いようだ。
相手を引きずり下ろしたり、蹴落としたりと、しばしば、なかなかに醜い争いが繰り広げられる。
両者が理性的であるならそうひどくはならないのだが(あるいは三者以上のことも多くて、事態はいっそう錯綜、紛糾するのだが)、お互い、理を離れ、それどころか、何が論点なんだかもわからなくなって、しっちゃかめっちゃかになることが多い。
あれは何だろう、インターネット上の自己というのは、書き込んだ文章にしかなく、それが否定されると人格が否定されたように感じるからだろうか。
難しい書き方になった。簡単に言うと、異常に悔しくなる、ということである。
いろんな人がいろんなことを言い出して、その中でAがBを叩いて、Cが尻馬に乗って、AがBに罵詈雑言を浴びせ、Cをあからさまに馬鹿にして、ヒートアップして、Dが茶々を入れて、そのうち、なぜだか、かなりの確率で「発言する資格」なんて話に飛んでいく。
「発言する資格」が出てきたら、その議論はまず先がない。
そうして、ささくれだった気分だけが残る。
ブログの、トラックバックを利用した議論では、そこまでひどいケースになることは少ないのだが、BBSやコメント欄での言い合いでは、よく「お前の母ちゃん、出ベソ」的な子どもの喧嘩になる。
興味深い現象だ。
ところで、「お前の母ちゃん、出ベソ」と言い出したのは誰だろう? 別に出ベソだっていいじゃないか、と思うのだが、一方で、もしかしたらかなり創造力に優れた人だったんじゃないか、とも、思う。