節税

 どうも好きになれない言葉があって、「節税」というのもそのひとつだ。


 守備範囲は結構広いらしく、「見落としがちな控除をちゃんと申告する」という正当な手続きを指すケースから、脱税すれすれのケース、解釈しだいでは脱税になりかねないケース、脱税そのものを言い換えるケースまで、いろいろあるようだ。


 別に税務署の手先になったわけではないが、控除については、法律でそうなっているのだからちゃんとやればよい。ただ、それを「節税」と呼ぶセンスを、どうやら私は好きになれないようである。
 「節税」。あさましい感じはあまりしないけれども、セコい、イジマしい、卑屈、と、そんなふうに感じるのだ。


 私だって、別に「オウ、じゃんじゃん好きなだけ持ってってくれ!」と言えるような収入があるわけではない。申告は適正にやっていて、控除すべきものは控除として申告している。
 しかし、それを「節税」と呼んだ瞬間に、人は人として大切な何かを失うような気がするのだ。何を失うのだろう。気概か、己を律する心か、凛とした部分か。
 ナマコ男が何をほざく、というご意見もあろうが、自慢じゃないが、こういう部分については割とこだわるのだ。思いっきり、自慢か。


 あんまり、「オレはこうだ。ワッハッハ」という話をされても、面白くはないですよね。スンマセン。


 「節税」という言葉のイジマしさとトホホ的ユーモア感覚は、何か他の言葉に似ていると先ほどから感じているのだが、それが何なのか出てこない。
 最初は男性週刊誌の「女子アナ・お宝ショット」かとも思ったが、イジマしさは共通するけれどもトホホ的ユーモア感覚のほうが合わない。


 うーん、私の灰色の脳細胞(一部、腐敗して黒褐色)の奥のほうではわかっているようなのだが、困ったな。


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