込む

 海外の事情はわからないが、少なくとも日本にはある特別な、高揚した状態になることをヨシとする風潮がある。


 「込む」という言葉がそれを証明している。動詞にこの言葉がつくと、グッと評価が高くなるのである。


 たとえば、野球なら「投げ込む」、「打ち込む」、「走り込む」というのは、キャンプで気合いが入ってきた状態だ。「開幕に向け、ガンガン燃えてるッスよ!」とアピールしているのだ。この、「込む」がつくと、首脳陣からの評価も1ポイント上がることになっている。


 「入り込む」、「入れ込む」にも、ある特殊なモードに入った感がある。
 もっとも、空き巣も人ん家に入り込むわけだが、あれはあれでおそらくスリルと特殊な脳内物質の分泌があるだろう。まあ、高揚したモードであるには違いない。


 あるいは、刑事や消費者金融取り立て方面の人々の「追い込む」というのもある。「きっちりカタにハメたるで」と、なぜか浪花世界観的言動になってしまったが、ともあれ、容疑者なり借金した人なり連帯保証人なりが特殊な状態に蹴り込まれるわけだ。シビアな世界の話である。


 広辞苑で「込む」を引くと、「(他の動詞の連用形について)」と前置きをして、いくつかの意味が書いてあった。


ア. 何かの中に入る、または、入れる意を表す。
イ. すっかりそうなる意を表す。
ウ. みっちり、または十分にそうする意を表す。


 アの用例では、「ぶち込む」、「殴り込む」、「斬り込む」といった、東映ヤクザ映画〜Vシネマ哀川翔・白竜路線もある。入る、入れるといってもチョボチョボ、ボチボチではなく、「やったるでえ!」的勢いが、どうやら「込む」という言葉にはあるようだ。


 どうも、この「込む」という言い回し、日本のガンバリズム、つまり、「頑張れ、頑張れ」、「一所懸命だから、エラい!」、「必死、バンザイ!」という価値観を体現しているように思う。


 私自身は、めったにそういうガッツあふれる「〜込む」状態にならない。
 人間の基本的なパワーというものに欠けているせいだろうか。それとも、やる気というものを、これまで歩んできた道のどこかに落っことしてきてしまったせいだろうか(遺失物なので、拾った方はご一報ください)。


 そんなわけで、今、茫然としながら、へたり込んでいる。


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