弱肉強食

「弱肉強食」という言葉があって、元々は生物界方面の言葉なのだろうが、ビジネスや政治(特に国際政治)のほうに転用される。
 しかし、生物界のほうを眺めると弱肉強食というのはあくまで一面でしかないようだ。弱い者が(これとて何をもって弱いと呼ぶのか興味深いが)食われることがある、というのは確かにそうなのだが、かといって弱い者が滅ぶということはなかなかない。それは弱者の作戦があるからで、実際には弱逃強困や弱隠強困、あるいは強者とされるほうが捕食できずに、弱逃強痩、弱隠強痩となることだってある。あるいはマンボウのように億単位の卵を産んで、そのうちの2つ3つでも生き残ればよい、という極端な作戦をとる生物もあって、まあこれなんぞ弱肉強食が前提なのだろうけど、弱側もなかなかにしぶとい。弱産強食とでも呼ぶべきだろうか。
 ビジネスの側で使われる「弱肉強食」は、よくよく考えてみると不正確であって、同じ業界の強い会社が弱い会社を食べるわけではない。吸収合併でもすれば「食」と言えないこともないが、吸収合併ばかりが業界の成り行きというわけでもないから、弱肉強食というのは不正確な比喩のように思う。
 ビジネス方面で「弱肉強食」という言葉を使うなら、食われるのは消費者のお金ではないか。同じ業界のライバル会社は餌としての消費者のお金を奪いあっているわけで、ライオンとハイエナの関係のようなものだ。弱肉強食の関係ではない。そうして、お金を食われる消費者はなぜかしばしばヨロコぶのだ。おそらく変態なのだろう。
 比喩的な考え方をすると、生物からビジネスへの転用が有用なのはむしろ「多様性」のほうではないか。たとえば、ITの方面では一時期マイクロソフトが圧倒的だったが、アップルというダメダメ会社(と、会社としては消え去ったけどNeXTの技術)がどうにか生き延びたためにそこから新しい展開が生まれた。技術なり発想なりの種を残しておく、というのは結構重要なことのように思う。