「頑張って」と"Good luck."

 以前から「頑張って(ください)」と人に言うことにひっかかりがあって、口にしないでいる。そもそも頑張ってないおれがそんなこと言っていいのか?、ということは置いといても、何やらすっきりしないのだ。

 ひとつには、大きなお世話であろう、ということがある。頑張るかどうかはその人のいわば専権事項であって、上司や親、先生などの指導的立場にある人を別とすれば、まわりがとやかく言うべきことではないだろう。

 それに、「頑張って」という言い方の裏側には「頑張ったからいいじゃないか」という価値観があって、おれは好きになれない。いささか浅薄なミンゲンカン(みんなで元気にガンバロー)的感覚が潜んでいるように思うのだ。小学校の運動会じゃないんだから、と思う。たとえば、頑張って自爆テロした人をどう評価するのか? 「頑張ったからいいじゃないか」と主張できるだろうか?

 もちろん、「頑張って」「頑張ります」というやりとりを単なる挨拶として流すことはできる。しかし、「おはよう」「こんにちは」とはちょっと違って、そこにはやはりもう少しメッセージ性がある。「頑張って」と口にする人は相手にその言葉で多少なりとも影響を与えようとしている。

 ・・・・・などという逡巡を抱え込みつつ、ネットで、日本語を勉強している英語ネイティブの人に、「頑張って」(I hope you'll do your best.)と言われるとどう感じるか訊ねてみた。

 あまり気にしないという人もいる。時には声をかけてもらうと少々気分がアップするし、他の時には特にどうとも感じないという。

 しかし、ひっかかりを覚える人も割に多いようだ。たとえば、必死にやっていることに対して「頑張って」と言われると、これでも懸命にやってるんだ、なんでそう上から目線なんだ(patronizing)、と反感を覚えることもあるらしい。

 面白かったのがアメリカのある学生の意見で、テストを受ける人に対して、日本では「頑張って」と声をかけるが、アメリカでは「Good luck.」と声をかけるという。そのココロは、テストを受ける前の晩までにその人はやるべきことを全てやったはずで(とそう仮定してあげる)、あとはテストがうまくいくよう願うばかりだからだそうだ。なるほど、そっちのほうが理にかなっている。さらに言えば礼にもかなっていると思う。「Good luck.」を日本語にすると何だろう。「うまくいくといいね」くらいだろうか。

 でもって、おれなりに「頑張って」と表現するときの心持ちについて沈思黙考してみた。そしたら答が出てきた。

「頑張って」は、字面どおりに捉えるなら、「努力して」「根性だ」「ガッツだ」「石松だ」「石にかじりつけ」みたいなことになるんだが、実際には必ずしもそうではないように思う。「頑張って」と口にするとき、口にする側は、死んでもラッパを放しませんでしたという状態を願っているわけではなくて、たいがいが、「前向きな気持ちでいて」「ポジティブになれるといいね」程度に感じている。場合によっては、「あたしはあなたの側にいるよ」くらいの意味だったりもする。「頑張って」は文法的には「頑張る」の命令形だけれども、実際に口にするときの心持ちは少しく異なるのだ、「頑張る」とは。

 しかし、それでもやはりおれは「頑張って」という言い方が好きになれない。いささか単細胞的だ、岡本真夜的だということのほかにも、無責任じゃないか、という感覚が実はぬぐえないのだ。なぜだろう?