感性

 言うまでもないことだが、なら言うなという心の声も聞こえるわけであるが、ある言語の言葉と別の言語の言葉は一対一対応しているわけではない。いきなりそんなこと言い出されても困るかもしれないが、わたしも困っている。すみません。

 たとえば、英語の「head」と日本語の「頭」はまあまあ同じことを指しているが、英語の「business」となるとぴったり合う言葉は見つけにくい。カタカナの「ビジネス」かというと必ずしもそうとは限らなくて、「None of your business!」と怒られたとき、「あなたのビジネスではありません」と訳すとやはりちょっと違う。これはやはり「お前の知ったことか」とか、いっそ「黙っとれ、ボケが!」くらいに訳したほうが合っている。この場合の「business」は「責任範囲」とか「あずかり知るところ」といった意味のようだが、どうも英語圏ならではの権利義務責任方面の概念が関わっているようであり、もしかしたら神と人間みたいな話にまで通じるのかもしれない。

 よく見かけて、意外と英訳しにくい言葉に「感性」というのがある。日本の広い意味での広告文化のせいか、日本で育った人にはさほど違和感なく消化できる言葉だろう。「感性に訴える」とか、「優れた感性」とか、「感性を育む」とか、いろいろに使われる。

 ところが、英語にするのは案外と難しい。和英辞典を見ると「sensitivity」となっているが、「sensitive」という言葉は敏感、過敏、傷つきやすいといったニュアンスが強い。必ずしもポジティブに捉えられる言葉ではない。

 以前に家電メーカーのデザイン関係の仕事をして困ったことがある。そのメーカーは自社のデザインの特徴を「感性の高さ」と表現したかったのだが、おそらくは担当者が和英辞典をひいて作ったのだろう、海外向けに「high sensitivity」という言い回しを使っていた。しかし、これ、おそらく英語ネイティブの人からすると、「過敏」とか「ちょっとしたことで反応する」とか、下手すると「すぐにビービー泣き出す」とまで捉えられてしまうかもしれない。そんな製品は使いたくないだろう。他の言い回しに差し替えることを提案したのだが、先方の担当者に「いや、これは社内で決まった言い回しだから」と押し切られてしまった。あれ、海外で恥をかいたのではなかろうか。

 しかしまあ、考えてみれば、「感性」という言葉、当たり前のように流通しているけれども、その正体は何なのだろう。意味するところ、茫漠として霞の如しである。ワビ、サビ、ししおどしコットーン、一葉落ちて天下の秋を知る、ああはれ的な文化の中で育ってきたニュアンスなのかしらん。