選手にとっての最高の舞台

 国母選手は「代表としての自覚がない!」と怒られた。自覚がないのは当然で、別に国母選手が責められることでもないと思う。スノーボードはあくまでオリンピック側がいささか強引に誘致した競技であり、スノーボードの最高の舞台はオリンピックではなく、選手からすれば「そういう場があるなら出ておくか」くらいのものなのだろう。

 たとえば、オリンピックの野球が中途半端な位置づけに思えるのは、それが野球の最高の舞台ではないからだろう。野球のプロ選手にとって、自分がその場に立ったところを想像するだけで身が震えるような最高の舞台とは、(ほとんどの選手にとって遠すぎるかもしれないが)ワールドシリーズだ。アメリカのオリンピック代表が今いちパッとして見えないのは、彼らがオリンピックを目指して野球をやっているわけでもなければ、自分が国内最高という意味での代表でもないとわかっているからだと思う。

 あるいは、サッカーで考えてみてもよい。ワールドカップとオリンピック、どちらを取るかで悩むプロ・サッカー選手はいないだろう。あくまで想像だが、サッカーのオリンピック代表も、「サッカーのU-23代表」という自覚はあっても、「オリンピック出場選手」という自覚はあまりないんじゃないかと思う。

 最高の舞台が他にあり、そこに出ることができる選手と、オリンピックが最高の舞台であり、4年間をそれに費やしてきた選手では、代表というものの捉え方が異なるのは当然だろう。そもそも背負って立っているスポーツのありようが違うのだからしょうがない。

 おそらく、国母選手は「本番で汚名返上だ」などと言われてもピンと来ないのではないか。彼にとっては「汚名」ではなく「迷惑」だろうから。まわりが勝手に名を汚しただけである。他の世界から呼び出されて、いきなり「代表の自覚がない!」「汚名返上だ!」と押しつけられてもとまどうばかりだろうと思う。

 オリンピック至上主義者と、最高の舞台が他にある選手と、お互い、困っているのだと思う。