ポール・マッカートニーのアレンジ

 この週末はポール・マッカートニーを、ビートルズ時代からウィングス、ソロ活動まで聞いていた。

 ポール・マッカートニーのポップなメロディセンスはごく若い頃にすでに確立していたようだ。ビートルズのごく初期の「ラブ・ミー・ドゥ」や「プリーズ・プリーズ・ミー」のメロディの心地よさは、その後のポール・マッカートニーの長いキャリアにおける数々の曲と遜色ない。

 一方で、アレンジの能力はビートルズの中期から後期にかけて飛躍的に伸びたようだ。初期の「オール・マイ・ラビング」なんてギターをジャカジャカジャカジャカかき鳴らすばかりで、めちゃめちゃテキトーである。ある意味、パンクともいえるし、単に「ま、これでいいじゃん」というふうだったのかもしれない。そうして、アルバム「ラバー・ソウル」あたりからだんだん凝ったふうになってきて、ビートルズの終わりの頃にはスタイルが完成する。逆に言うと、ビートルズ解散以後はメロディの点でもアレンジの点でも、特に新機軸はないようである(もちろん、新機軸があるからよいというわけではない)。

 勝手な想像だが、ポール・マッカートニーは手探りでアレンジのさまざまな手法を見つけてきたのではないか。スタジオでいろいろやってみて、何かピンと来るものがあったとき、それを押し広げてみるのだ。ビートルズの特に後期については「実験精神」という言葉が使われるけれども、おそらく、彼らは音の何をどうすればどうなる、なんてことをあんまりよくわかっていなかったんじゃないかと思う。ただ、ピンと来る勘の良さ、ピンと来た後にそれをいい音の感じへと展開できる音楽的センス、いくらかのツキ、そしてテキトーともいえる楽天性を持っていた。

 ビートルズの最後期になると、それらの発見はすでにノウハウ化し、完成度を持つようになったようである。おそらく、仮にビートルズ解散せずに続いたとしても、マンネリ化して、名声を失っていったんじゃないかと思う。

 そうして、ポール・マッカートニービートルズ解散後、ポップ職人の道を歩む。アレンジの点では、「アビー・ロード」(ビートルズの最後のアルバム)の頃に確立した手法をずっと使っているようだ。そういう意味では、ビートルズ時代のポール・マッカートニーの成長のスピードは驚くばかりだし、解散後の変化の少なさもまた驚くばかりだ。

 ギターのテキトーさに笑ってしまう。「All My Loving」。