明るい面だけ見てみよう

 さる記事広告を読んだら、「縄文時代LOHASだった!」というようなことが書いてあって、噴き出してしまった。


 LOHASとは、説明するのが恥ずかしいが(今、顔を真っ赤にしてこれを書いております)、Lifestyles Of Health And Sustainability(健康と持続可能性のライフスタイル)の略で、まあ、言わんとすることは結構だと思うが、言葉としてはインチキくさい。


 アメリカで流行! みたいな言われ方をすることもあるが、アメリカではあくまでマーケティング用語であり、一般の人はそんな言葉知りもしないと聞いたことがある。広告代理店の企画書と、坂本龍一の顔が思い浮かぶ。


 同じ記事広告に、「縄文文化は地産地消(地元で生産して地元で消費すること)の文化で、学ぶところが多い」というようなことも書いてあって、これまたぶっ飛んだ。


 そりゃまあ、主な交通手段といえば、「歩く」時代でしたから。


 いやね、地元で穫った自然食品(しかなかった)を地元で食べてはいたんだろうけど。
 しかし、乳幼児の死亡率は非常に高く、盲腸程度の病気で人が死に、ちょっとした自然災害や伝染病であっという間に集落が滅亡したはずで、少なくともわたしはそんな世界で暮らしたくはない。というか、たぶん、あっという間に死にます、わたしの生命力では。


 過去のものを取り上げるとき、この手の、都合のいい部分だけを取り上げてもて囃す向き、というのがあって、例えば、江戸時代はリサイクル社会だった! という類の言い回しも時折見かける。


 うんまあ、そうだったのかもしれませんが、コエタゴ担いで練馬から神田まで、その汲みっぷりがいいってんで紺屋町あたりじゃあ娘っ子達がキャーキャーキャーとか、屑ぃ屑ぃと方々回って屑屋、屑屋と馬鹿にされ、ようようのことで一文か二文。それでも商売に出なきゃ、親子五人、釜の蓋があかないんすよ、旦那ぁ、ねえ旦那ぁ、とか、どうもシンドい。


 ある時代のある社会というのは、種々様々な要素が絡み合って均衡状態となっており、伸び伸びできている箇所もあればひしゃげている箇所もあるだろう、見る角度によっては明るい面もあれば暗い面もあるだろうと思う。
 明るい面だけを取り出すのは、きれいだからと植物から花の部分だけちぎるようなもので、鑑賞には結構だが、繁殖には不向きだろう。


 モンティ・パイソンエリック・アイドルに“Always Look on the Bright Side of Life”(いつも人生のあかるい面だけ見ていよう)という曲がある。



 人を食ったような、でも、涙の出るようないい曲だが、人生だから明るい面だけ見てみるのもいいわけで、歴史の明るい面だけ見るのはどうかと思うのである。