渥美清本人は、もしかしたら、粋な人だったのかもしれない。
「男はつらいよ」がヒットしてからも、渥美清は街を歩いていて、めったに人に気づかれなかったそうだ。車寅次郎と渥美清はだいぶ違う印象だったらしい。
渥美清は、二十代の頃、結核で二年間、サナトリウム暮らしを余儀なくされた。
当時の結核は死病で、渥美清は施設に隔離され、多くの人がやせ衰えて死んでいくのを見続けた。本人も、片方の肺を失った。
渥美清本人を知る何人かの人が、彼にはどこかニヒリズムがあったと書いている。二年間のサナトリウム暮らしで、そうなったようだ。<諦め>が体の芯までしみ通ったのだと思う。
しかし、その後、渥美清は喜劇役者として天下を取ろうとする。洒落た芸もでき、鋭い人間観察眼に基づく演技力もあり、実際、「男はつらいよ」で天下を取った(片肺のハンデを背負いながら)。<意気地>だろう。
<媚態>については、知らない。
ただ、渥美清の話をぽつぽつ読むと、色気もあったのではないか、と思う。「男はつらいよ」以前の渥美清の芸は、随分、都会的な洗練されたものだったそうだ。
(追記:何かで、渥美清はSMの言葉責めがバツグンに上手かった、というのを読んだ覚えがあるが、何に書いてあったか思い出せない)
<媚態>の部分が弱いが、車寅次郎=野暮、渥美清=粋、と何とか言えそうだ。
少なくとも車寅次郎は粋ではない。だから、面白いのだ。これは力説しておく。
あんまり軽々しく、あれは粋だ、これは粋だ、とやらかすことは、粋という美意識を摩耗してしまう。もったいない。
ところで、今の世の中で粋なやつといったら、誰だろう(わたしを勘定に入れないで)。
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「今日の嘘八百」
嘘百九十六 今年の梅雨は来年まで続くそうだ。