落語のあるある

 考えてみれば、落語のオーソドックスなくすぐりにも、あるあるの笑いは多い。


 例えば、「品川心中」という噺がある。
 昔は品川の遊郭で一番人気だったお染が、いささかトウがたって、人気が落ちてきた。衣がえするお金もなく、みじめな気分になって、死んでやろうと思う。しかし、ひとりで死ぬのも悔しい。そこで、人のいい客の金さんを道連れにしようとする。


 以下、志ん生の「品川心中」から。


お染「だって、金さん、お金がいんのよ」
金「なーんだい、お金がいるから相談できねえってのかい。言ったらいいじゃねえか、エー?! 実は金さん、こういうわけで私は二百両なくっちゃいけねえとか、三百両なくっちゃいけねえって、言やあいいじゃねえか。サ、いくらいるんだ?!」
お染「四十両いんの」
金「し、四十両……。サァ、大変だ」


 それでも、お染の巧い口車に乗せられて――。


お染「それじゃ、お前さん、死ぬってことになってさ、今夜、死んでくれるかい」
金「今夜ァ? 今夜はダメだよ。いろいろ用があるもの」


古今亭志ん生「品川心中」、ザ・ベリー・ベスト・オブ志ん生 vol.12より)


 客は、お染に乗せられていく金さんをヌケた男だと思いながら、「ことによったら、そんな受け答えするかもしれないな」、「そんな心理になるやつもいるかもしれないな」、「おれも調子いいこと言って、後で慌てちゃったこと、あったよな」と(しばしば意識の下で)感じて笑う。
 そんな受け答えのパターン、そんな心理、そんな失敗もあるある、というわけだ。


 落語には、ナンセンスや地口など、他の笑いの手法ももちろん、ある。
 ただ、人の心理に訴えて笑いを取る場合(落語の王道だと思う)は、おおかた、あるあるの笑いと考えていいのではないか。