今日はいつもと文体を変えて書こうと思うワケよ。
理由なんてない。強いて言うなら、空が蒼すぎるからかなァ。
……いや、ヨッパラちゃいないよ。まだ。
で、だ。世の中、きれいに収まっているように見えて、実は、随分、取り繕っているところもある、と、そういう話をしたいワケよ。
平らなようでホントは歪んだ世の中も、歪んだ眼鏡で見てみれば、もっと歪んで見えてくる――これじゃあ、意味がないヤね。
あんさ、教育っつーもんについて、考えてみたんよ。
このオレ様も、驚いたことに、6・3・3と12年、学校の椅子にじっと座っていた時期があるワケだが、今、思うと、頑張った! 感動した!!
……だから、ヨッパラっちゃいないって。まだ。
毎朝、オレ様の家の前を、学童どもが列をなして学校に向かうワケだが、ここで、例の歪んだ眼鏡を取り出してみる。
教育、なんてリッパな言い方しているけどね、あれ、調教、と言い換えてみたらどうだろ? 案外、コトの本質っつーもんが見えてくるんじゃないの、と思うワケよ。
「義務教育」というもんがある。
可愛らしいボーイズ&ガールズは、なんとまあ、9年間も毎日、決まった椅子に座ってろ、と義務を背負うわけだが、つまり、アレ、「義務調教」ということじゃないかね?
我ながら、スルドい。キレる。「んぎゃあーっ! おまあら、全員、死ねーっ!!」って、そっちのキレるじゃなくて、カミソリ・ゴトーダのほうのキレるだからね。えらい違いなので、メモしとくように。
で、学童どもを取り仕切る機関っつーもんがあって、オレ様が住んでいるところだと、「横浜市調教委員会」というのでが、ガキどもをどういうふうに調教するか、決めるらしい。
法律的には、調教基本法というのが基礎になっている。国の調教の基本方針が書いてあるんだそうだが、シンキくさいので、読んだことはない。
ま、教育機関というけど、言い換えりゃ、調教機関なワケよ。
その機関でうまい具合に仕上がったら、毎朝、満員電車に乗って、長ったらしい会議に出て、部長の自慢話を延々聞かされても耐えられる、と、そういうふうに世の中はできあがっているらしい。
な? オレ様の歪んだ眼鏡も、なかなかのもんだろ?
それから、大人になったゼ、調教期間は終わったゼ、とホッとしていちゃあ、ダメよ。
油断していると、会社から、社員調教、なんてのを施されることもあるからね。
定年退職しても、国は生涯調教というのを用意しているんだそうだ。
そのくらいまで耐え続けていると、自分から生涯調教センターに行ってみようか、という気になるそうだから、条件づけ、というのは凄いもんだね。パブロフの調教。
恐るべき世の中であるワケよ。
んじゃ、また。