エレベータのボタンに関する一考察

 先日、知人と雑談していて、世の中には意地悪な人もいるもんだ、という話になった。

 知人が朝、開いているエレベータに乗ろうと小走りした。エレベータの内側、ボタンのあたりに女が立っているのが見えた。もう少しでドアにたどり着きそうなところで、その女がボタンを押し、スーッとドアを閉めたという。

 なんて意地悪な女なんだ、と知人は怒っていた。おれの解釈はちょっと違った。その女はエレベータの「ひらく」ボタンを押そうとして、間違って「とじる」ボタンを押してしまったんではないか。親切心があだになってしまったのだ、たぶん。おそらく。知らんけど。なぜなら、おれにも同じようなことをしてしまった経験があるからだ。

 エレベータの開く、閉じるのボタンはご存知のように日本国内共通でこういうアイコンである。

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ひらく

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とじる

 アセると間違えてしまいそうだ(エレベータのドアを急いで開いたり閉じたりするときはたいがいアセっている)。

 もしかすると、どちらも共通して真ん中に棒線が一本あるのがわかりにくいのかもしれない。こうしてみると、どうだろう。

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ひらく

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とじる

 棒線がドアのへりを表しているとするならば、こっちのほうが理屈にあっているように思う。

 なぜなら、正規(?)のアイコンのほうは、「ひらく」が操作直前のドアの状態なのに「とじる」がドアが閉まった後の状態だからだ。時点がズレている。

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操作前の状態(ボタンを押す人の意思)

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操作の結果

 もっとも、おれの案の「とじる」は三角形が広がるようにも見え、ドアが開いていく様子も思わせる。アセったときにはかえって間違えやすいかもしれない。逆の関係にしてみるとどうか。

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ひらく

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とじる

 こっちのほうがまだマシか。

 しかしまあ、見ているうちに、だんだんどれがどれやらわからなくなってきた。

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 見れば見るほど、混乱してくる。普通の人はどういうふうに反応するのか、早押しで統計をとってみると面白いんではないか。

 エレベータボタンの問題は、棒線の使い方にもある。こうしてみると、どうか。

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ひらく

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とじる

 理屈は合っているが、「ひらく」のアイコンの複雑なところが難である。アイコンが複雑だと、瞬間的な判断ができない。

 エレベータアイコンの直感的なわかりにくさは、方向を表すのに三角形を使っているせいもありそうだ。ドアという操作者が意識しているモノに対し、開く、閉じる、というコトが面塗りで強すぎる。また、「ひらく」とき、棒線の両側に三角形の底辺が添っていて、力が閉じる側に向かって強く感じられる。逆に「とじる」とき、三角形の頂点が添っていて、開放感がある。これがまた混乱させる要因なんではないか。

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「ひらく」なのだが、内に向かう力が感じられる

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「とじる」なのだが、外に向かう力が感じられる

 では、三角形ではなく、矢印にしてみるとどうなるだろうか。

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ひらく

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とじる

 アイコンとして複雑すぎる。要素が多すぎるのかもしれない。特に「とじる」のほうはゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。というか、最初から崩壊している(→_←)。

 結局、どうしたらいいのか、答えは出ませんでした。みなさまにはここまで付き合わせておきながら、誠に申し訳ない。いやはや、申し訳ない。