外をぶらぶら歩いていて、銭形平次のことが気になった。
相変わらず、面妖な働きをする愚脳だが、一昨日の日記id:yinamoto:20040912 にちらりと「銭形平次」と書いたのが頭の中に残っていたのかもしれない。
銭形平次は下手人を追いかけるときに銭を投げる。
淡い記憶だが、テレビでは首筋とか、腕とかに銭が突き刺さり、下手人が立ち止まって、「ウッ」と押さえる。
そこに平次が追いついて、見事、お縄にする、というのがパターンだったようなほのかな記憶が霞の向こうにぼんやりと映る37歳の秋なのであった。
どうも、記憶が曖昧でディテールをはっきり思い出せないのだが、銭が急所に突き刺さったり、あるいは大動脈を切り裂いて鮮血が大量に噴出したり、というシーンは記憶にない。
犯人は銭が刺さったくらいでなぜ立ち止まるのだろうか。
捕まれば、お白州である。多少の傷や痛みを気にしている場合ではない。駆け続けたままで刺さったところを押さえれば、それでいいじゃないか。
考えられるとしたら、平次の銭には強力な痺れ薬が塗ってあるという理由だ。
それならまあ、犯人が止まるのもわかるが、何となく平次を「陰湿」にも感じる。
想像してみてください。夜、行燈の薄暗い光のもと、ひとつひとつの一文銭に痺れ薬を塗っている平次の姿を。
だいたい、銭って、投げたくらいで肌に突き刺さるのか。
今、おそらく一文銭と同じくらいの大きさと思われる五円玉を右手に持ち、渾身の力を込めて、左腕に突き刺してみた。
痛い。
痛いが、突き刺さりはしない。
皮膚は疼痛を残して、少し残った跡もすぐに消えた。
当然であって、一文銭にせよ、五円玉にせよ、側面に厚みがある。刺さるような形状にはできていないのだ。
平次は、投げ銭用に、家でわざわざ一文銭の端を削り、尖らせていたのかもしれない。あるいは、お静さんにやらせていた可能性もある。
そうまでして銭を投げつけたいのか、捕り縄の投げ方でも練習した方が合理的じゃないか、とも思うのだが、縄形平次というのも、なんだかだらしがない。
ともあれ、銭形平次と一文銭は切っても切れない関係にある。
「細かい持ち合わせがなくて困っている銭形平次」。
想像すると、そこはかとなく、おかしい。