未来

 重力の強い言葉というのがあって、たとえば、「未来」なんていうのもそのひとつらしい。
 一般的には、単語ひとつで「未来」と言われるとポジティブな印象があるようだ。暗い未来像というのもあるけれども、ぽんと「未来」というとおそらく多くの人がよいイメージをなんとなく持つのではないか。たとえば、「未来志向で行きましょう!」というとき、その未来はどろどろの未来ではなく、よりよくなるはずの未来のことである。
「未来」という言葉が人気を持ち始めたのはいつ頃だろうか。あくまでいっこうあてにならないおれの憶測だが、戦前のSFの、科学技術によって素晴らしくなる未来というイメージ(あるいはアメリカのバック・ロジャースとかのあたりも源流か)がひとつの流れとなっていまだに続いているのか。
 おれ自身はあんまり「未来」という言葉に惹かれず、聞いても「ふーん」というふうである。この社会にあっては、あんまり望ましくない態度なのだろう。消費者としても、働き手としても。でも、おれは翼なんか別にほしくないんだよな。歩ければそれでいい。
 だいたい、元々、「未来」というのは仏教で「来世」のことである。「未来志向」というと、ほとんど浄土信仰だ。未来的って、あの世的。