随筆

 今日は随筆風に書いてみようと思う。

 冬の東京近辺は晴れていることが多い。空気が乾燥しているから、空の青も濃い。北陸に実家があるせいもあって、冬の東京近辺は温かいなあ、と思う。ちゃんと厚着をしていたら、もしかすると一年で一番爽やかな季節かもしれない。

 割によく散歩する。わたしの住むあたりは丘陵地帯で、坂が多く、セミコートを来て歩くと汗ばむくらいである。緑も結構残っている。風景の変化があるので、歩いていて楽しい。

 近くの丘の上に気に入っている公園がある。数年前にできたのだが、あまり知られていないのか、人はあまりいない。まわりは雑木林に囲まれており、地面は土のままだ。開放的というより閉鎖的なふうがある。

 その公園へは、長くうねる階段を上っていく。昨日も、はあはあ息をつきながら階段を上った。

 ようよう公園までたどりついた。細い道をたどると、急に視界の開ける地点がある。空き地の真ん中に木立があり、地面を枯れ葉が覆っていた。映画「ミラーズ・クロッシング」の森みたいである。

 遊歩道をとぼとぼ歩いてふと振り返ると、地面を埋め尽くした枯れ葉全てが黄金色に輝いていた。その向こうに太陽があった。

 しばらく見とれた。それからふと思い立って、公園の反対側にまわり、太陽を背にしてみた。枯れ葉は日の光を照り映えているが、輝くというほどではない。

 つまり、当たり前だが、枯れ葉それ自体は光を放っていないのだ。先ほど、とぼとぼ歩いて振り返ったとき、太陽と枯れ葉とわたしの位置関係で、あの輝きが生まれた。

 鏡を考えてみるといいかもしれない。鏡は何かひとつの像だけを映しているわけではない。別の角度で鏡に向かえば別のものが映る。対象と、鏡と、鏡を見る人との間の位置関係で、何が映るかが決まる。気障な言い方をすれば、鏡それ自体は表面にイメージを持っていないのだ。

 太陽と枯れ葉とわたし。輝き。何かを悟りそうな心持ちになった。

 しかし、その悟りらしきものは、手捕りにしようとした魚がつるっと逃げるかのように、すぐにどこかへ行ってしまった。