寝っ転がって鼻毛を抜いていて、ふと「青い山脈」の歌が頭に浮かんだ。
「若く明るい歌声に 雪崩は消える 花も咲く」という、温暖化の原因がCO2ばかりではないことを歌い上げた歌である。
なぜそんなものが頭の中で鳴り出したのか、自分でもわからない。脳の回路が混線しているのだろう。
ついでに、映画ででも見たのか、青い山脈を背景にした野っ原を、若い男女の集団が歩きながら歌っているシーンも頭に浮かんだ。
あの歌の内容、当時の若者はどのくらいのリアリティを持って受け止めていたのだろうか。
まあ、実際に青い山脈の前を、若い男女が歌いながら雪崩を消しまわって歩く、なんていうチャンスはなかなかなかろうが、当時の若者はあれを、多少なりとも望ましい自分像、場合によってはありえるかもしれない姿、と捉えることができたのか。
もしそうだとしたら、かれこれ50年。若者の感覚は随分と変わったように思う。
いやね、そんなに若い人のことを知っているわけではないんだけれども。
あくまで、街で眺める範囲で、だが、彼ら・彼女ら、あんまり青い山脈の前を美しい声で歌って歩いたりしないし、そうする自分を望ましいとも感じないだろう。
わたしも――青春と呼べる時期を終えて、かれこれ二十年だが――青い山脈的青春は全然、リアリティを持って感じられない。
いや、別に「青い山脈」をけなしたり、嘲笑ったりしているわけではない。何だか現実のこととは信じられない世界なのである。
たぶん、青い山脈の前をわたしが女の子と連れだって歩けば、助平な妄想から逃れられないだろうし。
あ、わたしの心が汚れてるだけですか。すいません、すいません。
少なくとも50年ほど前(「青い山脈」は1949年の歌/映画)には、ああいう“健全”な若い男女、青春のイメージが成立し、大ヒットする素地があったのだ。
何だか信じられない気がする。随分と変わってしまったものだ。
まあ、恋や純愛は相変わらずウケているけれども。