「自意識」を広辞苑で引くと、こう書いてあった。
自分自身がどうであるか、どう思われているかについての意識。
私は自意識過剰という性格的欠陥を持っていて、そのことはここにも何度も書いてきた。しかし、自意識というものについて、ちょっと誤った理解をしていたようだ。
自我がむき出しになることを自意識と呼ぶのだと思っていたのだ。お恥ずかしい。自意識過剰だから。
照れる。これは、間違いなく自意識過剰の故だ。上の引用文で言うと、「どう思われているかについての意識」が異常に強いのだ。
一方、酔っぱらうと、「オレが、オレが」、「ワタシが、ワタシが」となる人がいる。私もそうだ。お恥ずかしい。自意識過剰だから。
ああいうのは鮭を飲むと、いや、鮭を飲むのは難しいですね、酒を飲むと、普段は抑えられている自意識が爆裂するのかと思っていた。
が、どうやら逆で、自意識が失われるから、「オレが、オレが」、「ワタシが、ワタシが」となるようだ。
つまり、「自分自身がどうであるか、どう思われているか」という、ハタから自分を見る視線がなくなるのである。
忘年会シーズンで、人と酒を飲むことが多い。酔っぱらって、自我むき出しのことをしてしまう。
翌朝起きて、その行為を思い出し、非常に恥ずかしく、また申し訳ない気分になる。枕がしとど涙に濡れる。お恥ずかしい。自意識過剰だから。
まったく、自意識過剰で生きていくのは、楽ではない。特に師走は。