大岡裁き

 おれは落語が好きで、電車の中なんかでよく聞いている。
 落語の中にはお裁きの噺が結構あって、特に大岡越前守忠相が町奉行のものが多い。いわゆる大岡政談、大岡裁きというやつだ。たいがいは後世の創作なんだろうが、その中で描かれている大岡越前は知恵者で、情宜をわきまえ、弱い側の味方という印象である。
 おれは、大岡政談の多くにポピュリスト(人気取り)のにおいを感じて、いつもちょっとばかり引っかかる。まあ、講談や落語の聞き手に受けるように創られた話だからポピュリスト的になるのは当然なのかもしれないが、おれは天の邪鬼であるからして、つい逆側から見てみたくなるのだ。
 例えば、「大工調べ」という噺がある。家賃を一両と八百ためこんだ大工の与太郎が大家にカタとして道具箱を取られてしまう。与太郎の親方の政五郎が一両を代わりに払ってやるが、八百足りないと苦情を言う大家と喧嘩になる。そこでお裁きをつけてもらおうと奉行所に訴えて出る。大岡様は、大家が質札(質屋をやる権利みたいなもの)を持っていないのに借金のカタをとるとは不届きだから、大工仕事をできなかった間の日当を与太郎に払え、と裁きをつける。政五郎はこれ幸いと高い日当を言って(ここらあたりの塩梅は大岡様もわかっていて、政五郎に「だいぶ儲かったな」と笑いながら言うセリフがある)、与太郎は三両三分三朱を手にする。
 これ、与太郎と政五郎の側から描かれているから名裁きということになるんだろうが、大家の側を主人公にするとどう見えるだろう。
 店子の与太郎が四ヶ月も家賃を払わない。放っておくといつまでも払いそうにないから、道具箱を取り上げて、家賃を払ったら返してやる、と言った。与太郎の親方の政五郎が代わりに一両を払ってくれたが、あと八百持ってきたら道具箱を返すと主張すると、政五郎が怒ってなんのかんのと悪口雑言をわめき散らしたうえ、奉行所に訴え出てしまった。大岡様は「お前は質札を持ってないんだから、与太郎が仕事のできなかった間の日当を払え」と言う。政五郎はこれ幸いと日当を高くふっかけてきた。仕方なく、日当を払い、大損してしまう。
 うろ覚えだが、確か、立川談志古今亭志ん生に「あれは大家の言い分のほうが合ってるんじゃないですかねェ」と訊いてみたという話があった。志ん生は「そうだヨ。あの政五郎はただ啖呵を切りたいだけなんだヨ」と答えたという。
五貫裁き」という話はもっとひどい。大筋を繰り返すのは面倒だから、「加害者」とされた質屋の徳力屋の側から書いてみよう。
 やくざ者の八五郎が八百屋を始めるというので奉加帳(カンパの帳面)を持ってきた。そういうものにはお金を出さないことにしているので、一文だけ出したら「馬鹿にすんな」と八五郎が怒り出し、銭を投げ返した。飛びかかってきたので、煙管で頭を殴ったら、八五郎の大家が奉行所に訴え出て、町役付き添いのもとで奉行所に呼び出されてしまった。大岡様は「天下の通用金を粗末にするとは不届き。八五郎は罰金として五貫(五千文)払え。もっとも、一度には払えないだろうから毎日一文ずつ徳力屋に届け、徳力屋が自ら奉行所に届けよ」と命ずる。翌日、八五郎の持ってきた一文を手代に奉行所へ届けさせたところ、大岡様に「徳力屋本人が町役人五人組同道して持って来い!」と叱られた。八五郎はこれ幸いと毎日朝早く、そのうちエスカレートして深夜に一文持ってくるようになった(八五郎は遊び人なので、昼間は寝ていられるのである)。しかも、毎回、受け取りを出せ、という。徳力屋は眠れないでヘトヘトになり、しかも計算すると、五千文だと完済に十三年かかり、受け取りの半紙が五千枚にのぼる。嫌になって、二十両を八五郎に払って、示談することにした。
 ・・・これ、言ってみれば、ヤクザに金を強請られて、まともに相手にしないでいると、難癖つけられて結局二十両ふんだくられた、という話である。大岡様はヤクザの味方をし、しかもそれが名裁きとして世間では持て囃されているのだ。
 立川談志が何かで「日本は法治国家ではなくて、情治国家だから」というようなことを言っていた。情けの多数決みたいなもので、同情の集まる側の立場が強い。確かに日本にはそういう面があると思う。