インスタント・ハイク・マシーン

 観光地や名所のようなところに行くと、カメラや携帯で写真を撮っている人がよくいる。場所によってはそこにいる人がほぼ全員写真を撮っていたりする。あるいは、レストランで出てきた料理を撮る人もいる。

 中には芸術的写真を撮ろうという人もいるかもしれないが、たいがいの人はそこまで念を込めているわけではなくて、ちょっとした記念に撮っているのだろう。

 ああいう写真をパシャパシャ撮るココロを考えてみると、後で見るためにということだけでなく、「今この場所で見たこういうもの」ということをとどめておきたいという心の働きがあるように思う(微妙だが、前者と後者は少し違う)。その心の働きは和歌や俳句の原初的な役割にも通じ、和歌も俳句も人とのやりとりとなるとだんだん芸術性みたいなことが問われがちになるけれども、そもそもはさほど芸術性が問われない役割があるんだろうと思う。まあ、簡単に言うと、今、ここにいる状況を別の形に変換してとどめおくという役割ですね。共有するという役割もあるだろうけど、それはどちらかというと主ではなくて従の役割のような気がする(人と場合によるだろうけど)。でもって、何しろ和歌や俳句に比べて、カメラのほうはレンズを向けてシャッターを押せばいいのだから、簡便だ。さっさと終えられる。

 おれ自身はあまり写真を撮ることがない。一時は友達とつるんでよく写真を撮っていたけれども、最近は熱意がなくなった。写真を撮って何かしらの達成感のほうに向かうより、その場を体験しながら何かを感じていることのほうが大切な気がするのだ。ちょっとキザだけれども。